長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2015年4月2日木曜日
きのうは、あわただしい日でした。日記、書くのも遅い
普通は、午前中に、日記を書く。昨夜は、遅かった。夜の7時近くだった。きのうは、あわただしかったのです。朝食後、すぐ長崎まで、用件があって出かけた。車で、片道、1時間。幸い、帰ってきたのは、昼食まえでした。食堂に、大きな、見事な、ボタンが飾られていた。サクラもいいが、この花も華麗に咲く。聖コルベ館に居たとき、よく色紙にボタンの絵を描いた。絵の具や、色紙や、資料など、2箱に入れて、ホームの自室に持ってはきたが、まだ、ボール箱を開けようとしていない。場所もないのです。ボタンを描くのは好きだった。まだ未練がある。午後からは、ベッドに横になる。長崎まで行った疲れか、眠った。長くは寝ておれない。起きると、ちょうど高校野球の決勝戦だった。ロザリオの時間になる。お祈りが終わると、明子さんが来られた。いっしょに短いドライブに出かけたわけです。こちらはサクラ。雰囲気があった。夕食のとき、女性職員が食卓のソバまで来て、かがんで、小さな声で、「どこまで行ったの?」と聞いた。係わり合いを持ってくれたことが、とても嬉しかった。「サクラ、見に」。花も、いいけど、人とヒトとの、係わり合い、これが一番嬉しい事だった。小さな、ささやき、声も、いまでは、生活の励みになる。そういうわけで、日記を書く時間が遅くなったのです。
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次回の絵手紙には、このお花を描くといいですね。
返信削除フランチェスカさんから、パソコンが壊れてコメントができないとの、連絡がありました。