長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2013年4月9日火曜日
1枚の写真の行方。時代は流れ、人は去り、オレは長生きするぜ
1枚の写真がある。右下の年代からすると、1年半ほど前のスナップです。左から、長崎出身の橋口修道士。中央が平戸出身の崎辺修道士。右が、おなじみトマ小崎修道士。80歳以上で、聖母の騎士を守る3羽カラスといわれている。真ん中の崎辺修道士が、体力の衰えを感じて、老人ホームへ行く記念に写したものです。あれから、人の移り変わりは、激しいですね。昨日が、真ん中の、老人ホームへ行った崎辺修道士(86歳)の葬式でした。故郷を捨て、家族から別れて、修道士になったからには、孤独に耐えて、ひとり修道・奉献生活に、それは、それは精進してきた。主に、院内で、隠れた支え手として、掃除や食器洗いや、営繕の仕事に徹してきたのです。だから告別式には、弔電は1つもなく、参列者も、まばらでした。そこでトマ小崎修道士が、式中にオルガンを弾いていた赤尾院長さんの許可をえて、「天国へ、見送る、ことば」を読み上げました。その真意は「アンドレア崎辺さんは、古典的な修道士の生き方の模範です。昔ながらの修道者の生活を、真っ直ぐに、ぶれることなく、貫いた生涯でした」。これです。1つの役目を果たして、トマ小崎修道士は一応、満足でした。葬式が終わって、皆が食堂に集まった時に、隣の席には、(写真・左の)橋口修道士(79歳)が居た。彼が、トマ小崎修道士に、こう言ったのです。「トマが死んだら、送る言葉を、言って、やるねんな。病気ばかりで、60歳しか生きないハズのニンゲンが、85歳、それ以上、生きた。神さまの使命があった。そかし人使いは、荒かった。でも優しいヒトだった」と。トマ小崎修道士は、それを聞きながら、実際に、当を得ているので、「人使いが、確かに、荒い。オイ、これを、せろ。あれを、運べと、命令調が多々ある」。それで、トマ小崎修道士は、ただ、ヘラ、ヘラ、笑うばかりであった。この日、橋口修道士は、老人ホームがある湯江修道院へ転任して行った。今日から、トマ小崎修道士が、1人残された。「さあ、もっと長生き、するぜ」
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長生きして、素敵な文章を沢山書いてください(*^▽^*)
返信削除はい。長生きしてくださいね!
返信削除私たちは、一人一人、違う賜物と使命を主から与えられていますね。祈りつつ、生かされていきたいです。
院長様、オルガン弾かれるのですね。教会オルガニストしているのでちょっと興味あります。
返信削除何か目立つことをしなくても、そういった平凡な人生こそ、神様は愛していると思っています。
ブラザーのためにお祈りします。
今朝、食パンを一口食べて「ハムかチーズがあればもっと美味しいのになあ」と思った瞬間、ゼノさんの食べていたというパンを思い出しました。何も挟んでない食パン。あの黒いカバンに入れて出先で食べていた、と本で読みました。聖コルベ記念館にあるゼノさんのカバンをまた見に行きたい!と思いました。
返信削除まだまだ記念館にお勤めくださいね。
そうそう長生きしてください。
返信削除あまり急いで天国にいかなくてもいい席はきっと残っていますよ。
もうすこし楽しいブログを読ませてください。