長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2013年4月29日月曜日
大晦日のパウロ・うどん屋青年が来た。ホントかよ、嬉しいなあ
こんなことって、あるんですね。喜んでください。2011年12月31日の大晦日の日、閉館前に、滑り込みで来た岡山の青年・パウロが来た。「小崎サン、喜んでください。志願院へ入ります」「ええ、ホントう」。昼食後、3時まで自室で休んでいた。聖コルベ館へ出る。庭に、黒い軽が停まっている。「ン?」。玄関に待っていたのは、ウドン屋のパウロ君だった。「大晦日のパウロです」「え?本当に、来たの?」「ハイ」。嬉しい。大きな喜びだった。「ホントかよ」。手をにぎって、何度も、握手をした。あの日、大晦日の日、パウロ君と岡山の若者5、6人が来た。次に、2回目、付き添いの神戸の男性と2人で来た。そのとき初めて、コンベンツアル会に入会したいと知った。功のときに洗礼を受けた。神父さんが、「修道服を着て、スポーツする会を知っているか」「知らない」「聖母の騎士の会が、そうだよ」と教えられて、「その会に入りたい」と憧れるようになった。奨学金を返す為に、古本屋で働く。料理を覚えたいと、ウドン屋に勤めた。3月で、奨学金の全部を支払ったので、「よし、入会しよう」と決心したという。「よーく、がんばったな」。2日前に岡山を出て、平戸・生月・外海を周って長崎へ来た。軽のなかで寝ている。「今夜は修道院で、ゆっくり休みなさい」。夕べの祈り、夕食を一緒に果たして、共同休憩をして、入浴して、眠った。「マリアさまに抱かれて、安らかに眠れよ」
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昨年の5月5日にもいらした方ですね。
返信削除本当に入会されることになって、うれしいです。