郷土・出身の神父さんが、司祭除階の金祝を迎えるということで、外海・黒崎教会でお祝いのミサがあった。司祭として、50年を過ごすことは、大変なご苦労と責任もある。同じ郷土・出身の司祭や、修道士、シスターたち(奉献者)が20人ほど集まり、多くの教会の信者さんと共に、感謝の祈りが捧げられた。このミサと、その後で、海辺の会場に席を移して、奉献者たちで祝賀会が行なわれる。楽しい1日であった。司祭や修道者が、この道に入るのは、神さまからのお招きがある。それを感じてのことだが、入ったからには、本人の努力も必要であろう。周りの人たちの支えと、祈りも大切である。しかし強く感じたのは、「ふるさと」だった。みんなを育ててくれた「ふるさと」である。「ふるさとは、遠くにありて、思うもの」でなくて、「ふるさとは、近くにあって、慈しむもの、感じるもの」だった。★こんな思い出がある。父は、黒崎で生まれた。3男だったから、外地へ出稼ぎに出る。北朝鮮の地だった。都市、3万人の日本人のうち、カトリック信者は、父と母と自分の、たったの3人。キリスト信者である重圧さえ感じた。ところが15歳のとき、黒崎に帰ってきて、天主堂や、信者の家々を眺めたとき、言いようのない喜びを感じた。しかし、それは建物、家の感動であったが、それ以上に、人間の優しさ、愛に感動した。中でも、大きな印象を与えたのが、オンナ部屋のアネさんたちだった。その中でも、特に、優しく要理や賛美歌を教えてくれるアネさんがいた。ふっくらっとした顔、少し太めのカラダつき。そのアネさんの愛と名前を忘れない。このアネさんに押されて、修道士になったのかも知れないとさえ、思います。
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