長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2011年12月14日水曜日
予約の泌尿器科診察日。ボウコウ・カメラ。痛いよ
朝から、1人で軽を運転して、病院へ向かう。予約の診療日。やはり気が重い。尿を検査に出して、しばらく待っている。お医者さんに呼ばれて、診察室へ。「今日はカメラをしましょう」と言われて、素直に「ハイ」。ベッドがイヤだね。台が冷たい。下半身、ハダカになって、カエルをひっくり返したように、オナカを上に横たわる。カメラを入れる・・・イタイよお。ツメを立てて、手のヒラをしっかり押さえて、気持ちをマヒさせる。覚悟が必要だ。なぜ、こんな目に会うのか。疑問に思っては、ダメ。とにかく耐える。しようが、ない。楽しいことを思い出そうとする。こうして、乗り越えた。「ああ、終った。1つ、山を越えたぞ」。ボウコウ内は変化なしという。診察はあっけなく終った。「ジンセイ、何事もなく、80何歳まで生きるのが、いいか」「ハラン万丈の生涯を送りながら、いろんな経験をして80何歳まで生きるのが、いいか」。どっちだ・・・と言われると、「ウーム、待てよ」と、こう、なる。「ハラン万丈がいいかな」。喜んで病院を後にした。よかったぞ。次の診察は2月初旬です。正月休みは温かい沖縄あたりまで行くか、の希望も湧く。
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