ローマン修道士さんと、一緒に、ポーランドを旅行した時の写真です。後ろのご像は、ヨハネ・パウロ二世。
今日は、ローマンさんの命日です。
最後は、ホーム聖フランシスコ園に入居して、6年、介護を受け、100歳で逝かれた。トマが入居して、1か月後のことでした。
トマにとって、ローマンさんは、特別な思い出がある。聖母に騎士に入る前、15歳の頃、病気上がりのカラダで、よく聖母の騎士へ手伝いに行った。ルルドの掃除をしたり、院内に入っては、ローマンさんが作る聖像の、石膏磨きの作業をした。
その「つながり」からか、ホームに入居したローマンさんを時々見舞った。ローマンさんの好物は、チーズだった。渡すと、喜んで、介護の職員には隠して、見えなくした。20歳で、日本へ来る。戦時中は苦労したが、戦後、宣教に活躍した。庭や花を愛し、美的感覚があった。
★トマのポーランド旅行は、1回目は列福ツワー、2回目は列聖ツワー。3回目が、トマ個人と、通訳にローマンさんの同行を頼んだ。1か月の旅で、ローマンさんから、優しさや、根強い信仰、国を思う心など、学んだ。丁度、教皇ヨハネ・パウロ二世がポーランドをご訪問された時で、トマとローマン修道士は、二エポカラヌフ修道院で特別にパパさまの謁見の光栄によくした。ガヨビニチェックさんのインたビユーも、この旅だった。
★戦争が厳しくなった時、東京のポーランド大使館員たちは、日本を引き上げた。長崎へ寄って、ポーランド国旗をローマン修道士に託した。彼は、これを大切に守った。終戦後、大使館員たちが又、日本へ戻って来た時、ローマンさんは、国旗を返還した。
★コルベ神父が日本・長崎を去る時の写真が残されている。ローマンさんは、後方の、隅っこの場所にいる。
★トマが、ホームに入居した時、ローマンさんの体力は弱っていた。日本での宣教生活80年、静かに神の御元へ旅立った。ベッドへ行ってみると、足元に、ポーランドから持って来た温かいチョッキが広げられていた。トマには、それが、ポーランドの国旗に思えた。
お優しいローマン修道士様にとって
返信削除トマさんは何時までもお手伝いしてくれた頃の少年のままだったのではと思いました。
足元の温かいチョッキがポーランドの国旗に思えたとのコメントが心に響きました。
今夜ローマン修道士様の為にお祈りさせて頂きます。
ポーランドの祈りも、長崎から日本へ繋がっている
返信削除と感じます。祈りの強さは、優しく、我々を
包んでくれるようです。
ポーランド訪問の際のテープに残る声は、
ローマン修道士さんの声だったのですね。
また聞いて感じてみたいものです。
トマさん、こちらで申しあげるのは恐縮なの
ですが、湯江教会では、外からのミサ依頼を
受けていただけるでしょうか。
がぶらってぃの側にいるフランシスコが、
病状急変し、休日外来受診の後、そのまま
隔離入院となりました。重い肺炎で治療中です。
この治療の奏効が、先にかかっています。
新型コロナウイルスの関係で面会は一切叶わず、
病室で孤独です。万一、治療が奏効しない場合、
ICUで挿管すると説明を受けました。当然、
ICUでも面会はできませんし、そもそも望まない
措置です。
フランシスコは、22日に洗礼を受けたばかりの
神の子です。護られ、光の方へ導かれ、望みどおり
一度は元気に帰宅できるようお祈りくださいません
でしょうか。
日記には、また改めてお伝えしたいことを
書かせてください。トマさんの大事な入院前に
ご負担をお掛けしましたら、ごめんなさい。