永井隆博士は、コルベ神父を診察した記事を書いた。
戦争中、永井先生は、軍医として、中国戦線へ。時折、『聖母の騎士』誌に、絵を添えて「戦地の便り」を載せた。
★戦争が終わった年の秋、トマが聖母の騎士に入ると、永井先生が、宿として学校内に宿泊していた。夜の自習時間に、永井先生が来て、いろんな話を聞かせた。その年のクリスマスは盛大で、御馳走もあり、永井先生も一緒にお祝いした。
★翌年、春。「聖母の騎士中学」が始まる。トマは、中三になる。永井先生が「理科」を教えた。
★秋、運動会の競技のため、大きな「アシジの聖フランシスコ」の聖痕の墨絵を2枚描いて下さった。(写真)
★その年の12月、『聖母の騎士』誌が再刊されると、永井先生は、毎月、原稿を書いた。連載は、逝かれる寸前までつづいた。
★トマには、永井隆博士(長崎大学教授)を知ったこと、また教えられた貴重な思い出は、先生の「平和を」の文字と共に、いつまでも心に残っている。
★今日の「読売新聞」に、永井先生と聖母の騎士誌の記事が載った。紹介します。
永井先生の発信は、大きくゆがめられた時期が
返信削除あり、カトリック以外でも正しく理解される
縁の繋がるよう願っておりました。
読売新聞のとりあげに感謝します。
永井先生は、小神学校の運動会のために
絵も描いておられたのですね。それも
すばらしく安定した力強い墨絵です。
児童・生徒の目にも、写真の中で
隅から眺めている地域の子の目にも、
訴えるものがあったでしょう。
運動会での競技が「従順」「聖地巡礼」などと
命名されていたと書かれていましたね。
実にカトリックらしいユーモアの表出と
思います。
経営的な面で、事業継続の実務的判断に
取り込まれていっているような
日本のカトリック校ではありますが、
このような豊かさを、今のカトリック校の
園児・児童・生徒が感じ取れる機会のあるように
願います。