今年の夏は、暑かった。
ホームの飲料水・スタンドも、盛況だった。
補充のため、大きな赤い車が、度々、庭に横づけになった。
だが、トマは、殆ど、使わない。
聖母の騎士の「ルルドの水」を飲んでいる。
「こまめに、水分の補給をしなさい」と、看護師さん。室内に居ても、熱中症にかかる。恐ろしい。老人には、特に注意が必要だ。
★老人に、もどる。マスクをして、普通に呼吸する。
普段の、何事も起こらない日々がつづく。
★午前中は、タンスから、裁縫箱を出した。ズボンのスソが外れて、履くとき、足がひっかかる。「縫って、止めなければ、ね」。黙々と、針に、黒糸を通す。ズボンを裏返しにして、縫った。ホームは静かだよ。自室のクーラーは、適温に設定している。
★昼食の後、しばらく、ベッドに横になる。足を延ばして、緊張を解く。すると快適になる。その後、パソコンを開いて、日記を書く。考えながら、書く。何かの、ヒントがほしい。「まあ、日記に、何も書けない日があっても、いいでしょう」とは思う。
★日記の後は、「教会の祈り」を唱える。聖書を読み、ロザリオで時間を過ごす。修道士は、お勤めを果たさねばならぬ。安泰と、平和、死者のため、祈ります。
★次に、窓を広く開け、廊下の扉も開けて、外気を、部屋じゅうに通す。その間、押し車で、廊下に出て、お湯、お茶、お水の共同のスタンドへ。ポットにお湯を入れる。そこには共同の冷蔵・冷凍庫がある。それが終わると、しばらく録画したテレビを見ることも。
★先日、老いて、認知症にかかった映画監督の言葉をメモした。「記憶、それは人が生きた証(あかし)。その記憶を呼び覚ますチカラを、『愛』と言う」。その言葉が、グッときた。老いて、認知症でも、作品制作に意欲を燃やしている。イケメンや、ヒーローを主演にすることなく、庶民の記憶を集約して、物語に仕上げる手法を取って来た。
★過去とは、過ぎ去ったもの、自分から離れたもの、価値のないものと思いがち。今は、ナンの役にも立たない。そうか、な。疑問が、湧く。「よい記憶も、よくない記憶も、人が生きた証である」「忘れたい、というのと、忘れたくない。表裏、一体」と、監督の言葉。何か、分かるような気がする。
★振り返って、自分に嬉しいことは、あったか。あったね。今朝も、言われたよ。「テレビの顔、若いね、いくつ?」。今年は、話題になる出来事が起こった。老いても、よかったと思ったよ。過去の集約だからね。過去は、今に『つながる』。出番が、あれば、ね。人生に、こういう恵み事って、あるんだな。実感した。旧友から、見知らぬ人から、便りが届いている。テレビの感想文です。過去を、有り難いと素直に思っております。
★老人になると、自ら問う。気は、確か、か? 「まだ、まだ、行けるぞ」の気持ちで、ふんばる。楽しいことの続編も、あるだろう。生きて居れば、ね。
がぶらってぃの扱う水道水は、
返信削除どこも水道湯になって2週間以上が経ちました。
先を案じたくありませんが、これがまた冷えて
水道水に戻るには、一ヶ月以上がかかるでしょう。
流れる水が清しく冷たく感じられる
ルルドのお水を心と体が求めています。
裁縫をされる修道士・トマさんのお姿は
これまでも日記で拝見しながら、
祈りにあふれていると感じています。
トマさんにとっては、生活の中の仕事の
一つと思いますが、あー全ての仕事は
神のもの!と感じ取ることができます。
豊かです。
ホームには、給水、給茶、給湯のスタンドが
用意されているのですね。多くのホームで
危険回避を理由に、入所者さんが直接は
触れられないようになっていますが、
フランシスコ園は入所者さんを信じて、
力と希望を奪わないケアに努めて
いらっしゃるのだとわかります。
これも豊かです。
認知症を得た映画監督のテレビ番組には
がぶらってぃも興味をひかれ、課題図書として
録画してあります。まだ心の準備が不十分で
観られませんでしたが、この映画監督が
大事にされている“人々の物語の連続性”は、
トマさんがおっしゃっている
「人が生きることに興味があります」に繋がる
ものと感じ取っております。
トマさんの1日からは、多くを学びます。
ありがとうございます。