長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2015年6月4日木曜日
明子さんのご主人1周忌。ミサで安息を祈りました
週に、2度。ようす見と、話相手と、元気をくれる明子さん。いつもお世話になって、助けられ喜んでいます。ところで、きょう、6月4日は、ご主人の正則さんが、65歳の若さで亡くなられて、ちょうど1年になります。今朝はミサのとき、亡きご主人の冥福を祈りました。子どもさんが3人居られます。ご主人を亡くされて、明子さんは大きな十字架を体験された。言い尽くせない程の苦しみ、悲しみです。こころのうちは明かされない。救いになったのは聖書でした。旧約、新約、聖書を半年で読み終えて、また続いて読んでいます。明子さんは聖書から生きる力をいただいた。「かわってきました。つながり、はからいが、ある。幸せです。神さまに守られて、守り、導いてくださる」。明子さん自身も、重大な病気をかかえておられる。崖っぷちを生きておられる。正則さんは教師でした。「修道院の方々に、わたしなりに、おかえしがしたい、そう思います」。生きていることを感謝しながら、皆さんに、元気を与える、それが夢です、と明子さんは明るい表情をして、昨日も来られました。正則さんは五島出身。明子さんは島原出身。「島原半島の海岸を車で走らせると、風景、自然は変わらないのに、人は変わる。主人はどこかへ行って、また戻るような気持ちです」と語ったのに深いつながりを感じた。写真は半月ほど前に自宅で撮りました。
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この世の命には限りがあるとわかっていても、お別れは覚悟が要ります。明子様の事も含めてお祈りさせていただきます。トマさんこんにちは。今日は久しぶりに綺麗な青空ですね。何時も自宅から自由に散歩も出来ませんが・・家の中で家事をしながら、ウロウロベランダでウロウロです。去年は、50代60代の方々を沢山お見送りいたしました。父もいましたが、その中に父も89歳で苦しい最後を辛抱で行きました。感謝の気持ちと、父が魚釣りしていた海を見ると、まだ沖にいる気が致します。天使に生まれ変わるまで、人間で又お会いしましょう。ルチア
返信削除明子さまのご主人さまのご冥福をお祈り申し上げます。
返信削除明子さま、お子様方の上に主のお恵みと御守護が豊かにありますよう、お祈り申し上げております。