長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2015年6月25日木曜日
一声かけてくれる、ダイジョウブ、か。うれしいな
先日、ドライブに出かけた「はすの花」です。きのうは苦しい半日だったが、なんとか乗り越えた。これから先、どのように、なるのか、わからない。昨夜は、ゆっくりと眠った。眠るのが、いちばん楽しい。今朝は、すがすがしい気持ちだった。下着に、上も、下も、血がついていた。普段は、下着の洗濯は自分で行なっているが、きょうは量(7枚)が多いので、洗濯の職員さんにお願いした。★パソコンを開いていると、高原修道士が、「どう、ですか。ぐあいは?」と戸をあけて、のぞいた。「ウン、だいじょうぶ」。昨日は洗礼者聖ヨハネの誕生の祭日で、高原修道士の修道士名のお祝い日でもあった。彼にとっては特別な日なのに、修道士に特て別は無い。半日は、病院で、長い時間、待たせお世話になった。車の運転もしてくれる。ありがたい。いまは高原さんが頼りになっている。★「修道者には家族が居ない。ささげ尽くしているから、修道者お互いが面倒をみる」。原爆の当日、「助けなかった」「逃げた」。その体験の原点から、その人にとって「隣人とは、だれなのか?」。自分の人生を暮らす中で、絶えず、貫いてきた言葉は、これだった。「隣人とは、だれか?」。よきサマリア人はどこにいる。ここまで書いたとき、「トン、トン」と戸をたたく音がした。「洗濯物、できましたよ。ここに置いておきますからね」。早ーャい。
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昨夜は熟睡できて良かったですね。
返信削除高原修道士様にはいつも感謝ですね。
よき隣人に恵まれ小崎さんはお幸せです。
こんぱんは。昨年の6月26日は鳥取においでになった日です。もう一年というかまだ一年というか。ところで良きサマリア人の話が出ましたが、このサマリア人は傷ついた人や困難な中にいる人に対して常に親身になっていたと思います。たまたま今回だけ良いことをしたのではなく、良いことをするのが当たり前で身に沁みついていた方だと思います。皆がこうであれば諍いは起きませんね。このサマリア人の生き方が好きです。
返信削除訂正。明日の6月26日という日は、小崎様が昨年鳥取においでになった日です。
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