長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2015年5月4日月曜日
「生かされて、今日も祈る」。それしか、ありません
「生かされて、今日も祈る」。この歳になって、毎日が、そうでしょう。痛みもあります。不安もあります。生きているのは、苦しみでもあります。でも、生きている、生かされている、まだ動ける。呼吸もできる。いいことも、あります。ありがたい。祈りながら、日々、野山を吹いている風にのって、いっしょに生きましょう。ホームの下の方には、小川の流れもあります。上流には轟の瀧といって、清い水の源泉になっている。その川の流れに混じって、いっしょに漂いましょう。★きのうは、携帯を失って、あわてた。部屋に、ない。どこに忘れたのか。廊下を通る職員さんに「携帯、ない」と伝えると、すばやく事務室の職員さんが心配そうに、部屋まできた。携帯がなくなると、大変です。パソコンも、携帯の番号から器具を得て、発信している。「教会かな?」。さほど時間が経たないうちに、廊下の向こうから、別の職員さんが、「ありました、教会の席にあった」「ああ、よかった」。ロザリオの後の小さな事件でした。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
私も持病があり、毎日闘っておりますので、小崎さんのお気持ち共感させられます。みむねのままに、、、携帯見つかってよかったですね。
返信削除「生かされて 今日も祈る」
返信削除生きていること、祈ることができること、お恵みですね。
障害を持っている私は、このお言葉をかみしめております。 携帯よかったです。落としやすいので、私は携帯ポケットバッグをかけることを勧められました。