長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2014年6月7日土曜日
人には誰しも、最後に、「臨終」の一仕事がある。
悲しい日でした。男性の葬儀に参加し、お祈りしました。60代の若さに、惜しむ声が聞かれました。がんを告げられて、余命いくばくも、ない。最後は、力づよく生きて、子供たちに、親の素晴らしい生き方を見せながら、亡くなった。「力づよく生きぬいたと、言われる人生」です。家族は、父親が残した数々の思い出を大切に、慰められ、信仰のうちに希望をもちました。★葬儀ミサで、司祭はお説教のとき、「司祭の両親や、兄弟を失ったときの悲しみを語り、また自分もガンに冒されて、死を意識したことから、私たちも時折、自分の死をも考えるべきです」と語った。それを聞きながら、「ああ、オレも、ガンだよ、な。同じ、だよ」★告別式のとき、学生時代からの友人がお別れの言葉を読み上げ、「力づよく生きた人生だった」と涙しました。みなさんは、涙を、そそわれた。★葬儀が終わって、帰りの車のなかで、思いました。「病気の苦しみや痛みを、神さまに捧げる。すると、その功徳は、罪びとの改心につながる。罪びとは救われる、と教えられてきたが、今でも、その信仰は教会に残っているだろうか。最近は、あまり言われない。例えば昔、コルベ神父は、来客があると、修道院の一番大事な所へ案内しますと、病室につれて行った。ここで捧げる苦しみ痛み、祈りが、修道院に、布教に、罪びとの改心に、大きな恵みをもたらす。コルベ神父は、そう確信していた。祈り、苦しみ、痛みは、改心につながる。そこには信仰の神秘がある。★葬儀の教会まで、片道、40Kmは、あった。午前10時30分に出て、午後3時過ぎに、疲れて帰った。
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力強く生きぬいた方の為にお祈り致します。
返信削除祈り、苦しみ、痛みは改心につながる
信仰の神秘があるの言葉が心に響きました。
コルベ神父様が
修道院の一番大事な所は病室ですとの言葉を
友や家族そして自分が病になった時思い出しています。
小崎さん、お身体のお疲れが回復なさいますように。
私の両親は健在ですが、同じく60代なので、他人事とは思えず日記を読みました。
返信削除病者をいたわり、祈ることを忘れないようにしたいです。