長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2014年6月11日水曜日
共同休憩室の「異国の丘」と、復帰のロザリオ。
4階にある共同の休憩室です。夕べの聖務とロザリオが終わり、夕食が終わると、入浴など、自由の時間となる。休憩室に集まって、新聞を読んだり、テレビを見たり、静かに時を過ごします。9時過ぎには散会します。★週1度の夜は、全員が休憩室に集まる。テレビは消して、飲み物、スナックで、語らいの時を過ごします。思い出話や、失敗談、イタリアの話、にぎやかです。★昨夜は、人数も少なかったせいか、テレビがついていた。NHKの歌謡コンサート。終戦当時の古い歌を熱唱している。古い人間は懐かしいのか、テレビは消さない。そのうち「異国の丘」が歌われた。シベリアに抑留された兵士の悲しみの歌だ。しみじみ胸に迫ってくる。「あの頃の人には、悲しい体験があった、な」。誰でも、わかる心境だ。★トマ修道士が、こんな話を語りだした。神の島教会の主任に、岩永神父さんがいた。兵隊に行って、シベリアに抑留されて、大変だった。戦友の多くが亡くなった。岩永神父は、祈りだけは忘れず、指で、ロザリオを唱えていた。苦しみが過酷をきわめたとき、神父は特別に、幼いイエスの聖女テレジアに助けを願った。テレジアは宣教師の味方です。希望をもって、毎日、祈った。7年後、シベリアを開放されて、長崎駅に着いたとき、真っ先に、大浦天主堂へ行った。10月で、信者たちが堂内でロザリオを唱えていたという。感動した。そして、もう1つ、感動する出来事があった。その日は、10月3日、幼いイエスの聖女テレジアの祝日であった。★こういう話を、もっと、もっと聞きたいね。異国の丘の歌と、ロザリオの祈りは、修道士たちの胸に、しみじみ感じるものがあった。その夜は、ゆっくりと安眠した。
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私の世代には身近に
返信削除シベリアに抑留され帰国された方々がおりました。
「異国の丘」はシベリア抑留されていた吉田先生の作品でしたでしょうか。
NHKラジオ番組「のど自慢」から拡がった曲でした。
聴くと悲しくなります。でも伝えて行きたい曲です。
心から平和を願います。
岩永神父様の体験に感動致しました。
コルベ神父様も幼きイエスのテレジアにお取次を願っていらしたことでしょう。
アットホームな休息室
皆様の語らう笑顔が目に浮かびます。