長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2014年6月17日火曜日
聖コルベ館の墨絵『最後の晩餐』。今日の日付・作。
聖コルベ館で、新しい発見があった。訪ねてきた東京の神父さんから、声をかけられた。「ホールの入口に、墨絵が掲げられているね、今日だよ、ね」「え?なに?最後の晩餐の、墨絵があるけど」「あの絵、今日、描いたんだよ」「え?何んで?」「6月17日、と書いてある」「ホントウ?」。ふしぎに思って、2人して見に行った。いつもホールに出入りするとき、この墨絵の大きな額の前を通る。そんなこと、全く気にしていなかった。言われて初めて、いま確認した。「一九九○・六・一七作、聖丈」とあった。絵のおおきさは、縦が、90cm。横が、150cm。24年前の今日じゃないですか。大きな発見でした。トマ修道士がここに着任したのが、1991年4月からであった。その前から架かっていた。誰が、どのようにして、ここに掲げたのか、分からない。何気なしに、ここを日々通っていた我を反省した。この日付を見つけ、急に、この絵が脚光を浴びた感じがした。まじまじと、あらためて眺めた。見慣れた晩餐の絵の通りに、配置している。キリストの両の手のひらが、天を向いている。表情が悲しそうだ。これから始まる受難。「この重荷を・・・み心のままに」。覚悟を祈られたに違いない。この絵を見ながら、さまざまな願いも浮かんだ。「も旨を求めて生きる」「人びとと共に喜び、共に苦しむ」「キリストの心で人びとに仕える」などなど。いずれも実行は、難しいことばかりだ。絵を大事にしよう。聖丈とは誰だろう?作者を知りたいと思った。記録に留めておくことも必要だろう。人の記憶はいつしか忘れてしまう。トマも墨絵は描くが、このような大作は描けない。最後の晩餐の風景を、墨絵で、表現した大胆さ。あらためて、見直した作品でした。大事に守っていきたい。教えてくれた神父さん、ありがとう。
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素晴らしいの一言です。早く拝見させていただきたいと思いました。又 聖コルベ館にも 竹の墨絵が 掲げられています。ひらめ様が plogで 紫陽花のお写真をご覧になって 教会の共同体について強められるご意見をお書きになっていらしゃいます。私も この竹の墨絵を 拝見して 私たちの信仰もこんなふうにのびのびと 天に向かって成長したいと思いました。少々墨絵をかじった事があります。あれだけの竹を描くということは 何年とかかります。後で トマ様がお書きになったとわかり、お聞きしましたら、イヤーというお答えでした。あの時のお顔 忘れられません。
返信削除ナザレという町に MARIA OF THE NATIONS とカトリックの教会があります。いろんな国が Mariaの絵 をかがげていました。その国を 人種を代表する絵でした。日本は 細川ガラシャ夫人 (私はそう思いました)の絵で 嬉しく思いました。その国、 そこで生かされて 信仰があると思い イスラエル旅行で 一番心に残りました。ほとんど油絵でした。日本には日本の芸術があり 画法もある。それで 聖画が あれば、墨絵があれば と思っていました。 外国で 生活しているから 強く感じるのかもしれませんが あの墨の匂いと筆で もっとたくさん 聖画を 拝見したいです。 主人に この 最後の晩餐の墨絵を見せましたら 私より長く 眺めていました。静かな情熱と 言いました。
何度も 拝見しました。トマ様がお書きになっていらしゃるように イエス キリストの 胸の中、私たちへの想いが 描かれています。さまざまなことを 私も考えました。 私たちの 目が まず キリストへと 向かいます。感謝。
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