長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2014年6月12日木曜日
平川兼夫神父、81歳、神に召される。安息祈る。
この写真を見れば、ああ、あの神父さんですか?と覚えているお方も居られるでしょう。巡礼の旅行グループをお世話して、聖地をまわっておられました。大きなカラダの神父さんですが、こころ優しく、言葉も優しく、あまり大きな声では叫ばず、静かにお話される神父さんでした。81歳ですから、同じ年代です。太平洋戦争のさなかに、小学6年で、五島・福江島から聖母の騎士に入り、市内の小学校、中学校に通いました。戦争が終わって、昭和21年4月、聖母の騎士中学が再開したとき、中学2年になる。トマは、3年でした。中・高のころは、よく知っています。★考えれば、長い人生だと思います。イタリアへ行って、司祭になって、たくさん指導して、司牧して、神さまのため働きました。すばらしい人生だったと思います。おだやかな神父さんでした。車の運転が好きで、遠い所まで自分で運転して、旅を楽しみました。仲間の司祭が、1人、1人と召されていく。寂しいことです。思い出のエガオだけが、残っている。エガオを向ければ、エガオで返ってくる。平川兼夫神父さんの安息をお祈りください。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
平川兼夫神父様の安息をお祈りさせて頂きます。
返信削除平川神父さまには、春日井教会に赴任さらていらした頃からお世話になっていました。
返信削除昨年末の神父さまからのお便りには、東村山修道院のクリスマスの写真が同封されていました。
あの優しい話し方を思い浮かべ、涙しています。
神父さまの安息をお祈り致します。