聖コルベ館のホールに、大勢が集まった。小崎修道士も、右端にいる。聖母の騎士の学校の卒業生たちだ。ひさしぶりの再会だった。この学園は、聖コルベが創立した誉れ高き学校だ。道は2つに分かれ、修道者になった者と、社会で活躍する者、お互い違っているが、「アタマが、白くなっているのは、同じだなあ」。市内はもちろん、出会いのために、東京や、名古屋、鹿児島から、奄美からも参加している。懐かしいなあ。「このヘン、ずいぶん、荒らし周ったモンなあ」。今となっては、笑いのタネさ。賑やかに、語らいは、つづいた。「トマさん、カラダ、大丈夫?」。声かけられる。「ああ、見ての通り、ダイジョウブさ」。同じ釜のめしを食っているから、心通じるものがある。学校について、詳細を語れば、聖コルベが創立のときの名称は「本河内神学校」だった。戦中は、苦しい時代がつづく。憲兵隊から、監視され、学校は休校となる。生徒たちは、市内の中学校に通った。戦後、「聖母の騎士中学(旧制)」として新たに発足。すぐ、新制・中学校、高等学校となった。最初、学校の特徴は、みな、生徒は神学生だった。小崎修道士が、高等学校第1回の卒業生だ。とは言っても、この連中は、誰も話題にする者はいなかった。その後、一般学生にも解放され、神学生は徐々に減少して行った。これも時代の流れか。いま、神学生の高校生は、2人しか居ない。寂しい限りである。
良い再会だったことでしょうね。
返信削除30年前の高校生だった頃、聖母の騎士の生徒であり、信者の方と一緒に西坂の黙想の家で「カトリック高校生錬成会」が開かれ一緒にすごしました。
聖母の騎士の生徒さんは、ずーっと自分の学校の自慢話ばかりされていました。(笑)
校章の意味を説明されたり、制服を自慢したり。
その頃のわたしは自分の高校に特別な思い入れはなく、学校をそんなに誇りにおもう同世代の人がいることの方におどろいたことを思い出します。
長崎の駅も街もきれいにあたらしくなったことを今年の春にしりましたが、時が経ってもあの自慢している時の生き生きとした表情と口ぶり・・・・今でも新鮮に思い出すことができます。