師父聖フランシスコの祭日です。写真は、2003年10月4日、アシジに居りました。すばらしい1日でした。下は、アシジのウンブリア平原。いい所ですよ。イタリアでは国祭日だそうで、沢山の巡礼者が雲集ですよ。限られた地方の者しか教会・修道院内には入れない。毎年、祭りを仕切る各地方の担当が変わると聞きました。「神さまの愛が分かりません」という時には、アシジの聖フランシスコの生き方、生涯、彼の行動、思いに迫ったら、少しは分かるようになるのでは、ないでしょうか。フランシスコさまの生き方を見れば、本当に優しさのなかに神さまの愛が分かる気がします。神さまの愛が分かれば、大したものですよね。これが基本ですから。絶えず望みたい願いです。思いますよ。「信仰とは何ですか?」「その人の生き方でしょう」「信仰して良かった事は何ですか?」「守られている。導かれている。それを、自分の存在の底辺で実感している、本当に、そう思えることが、良かったこと、ではないでしょうか。有るんですね、守られていた、導かれていた、という実感が。実例が。それは、ゆるぎない事実です。誰にも言えない小さな体験かも知れないが、本人にとっては大きな推進力、それが信仰になっているのは、確かです」長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2012年10月4日木曜日
今日は師父聖フランシスコの祭日。イエスに似た者となる
師父聖フランシスコの祭日です。写真は、2003年10月4日、アシジに居りました。すばらしい1日でした。下は、アシジのウンブリア平原。いい所ですよ。イタリアでは国祭日だそうで、沢山の巡礼者が雲集ですよ。限られた地方の者しか教会・修道院内には入れない。毎年、祭りを仕切る各地方の担当が変わると聞きました。「神さまの愛が分かりません」という時には、アシジの聖フランシスコの生き方、生涯、彼の行動、思いに迫ったら、少しは分かるようになるのでは、ないでしょうか。フランシスコさまの生き方を見れば、本当に優しさのなかに神さまの愛が分かる気がします。神さまの愛が分かれば、大したものですよね。これが基本ですから。絶えず望みたい願いです。思いますよ。「信仰とは何ですか?」「その人の生き方でしょう」「信仰して良かった事は何ですか?」「守られている。導かれている。それを、自分の存在の底辺で実感している、本当に、そう思えることが、良かったこと、ではないでしょうか。有るんですね、守られていた、導かれていた、という実感が。実例が。それは、ゆるぎない事実です。誰にも言えない小さな体験かも知れないが、本人にとっては大きな推進力、それが信仰になっているのは、確かです」
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