長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2012年10月23日火曜日
ポン、ポンと、語って、ああ、悔いが残る。これも気性か
応対や、会話で、よく失敗する。機嫌(きげん)もんですからね。しゃべり方が一気で、自分のことだけ話して、ハイ、それで終わり。ぶっきらぼう、と言うか。短気と言うか。反省すること、しばしばです。自分でも、イヤになります。聖コルベ館への見学者も、声をかければ一歩、引く者も居り、無反応も居る。出会いは、大切。信仰的には、「主が来られた。思いなさい」。そうは言われても、現実には、いま、ブログを書いている、これこれの都合もある。なかなか平穏には、行かない。そこで前もって、『構え』ておく。構えの気持ちを持っておく。すると、お客が突然、来たときでも、穏やかに接することが出来る。1度、失敗すると、イヤーな気持ちが、残る。「小崎サンは、構えているから、イカンよ」と言われたこともあった。でも、ね。心の準備は必要だろう。剣道でも、構えていないと、打たれる。負けだよ。いま思うことは、①会う度ごとに「大丈夫ね」と言われる。イヤだよ。10月になって、尿のスカスカは全く出なくなった。落ち着いたのか。②それでも、この冬、どうやって寒さをしのぐか。寒さに堪えるから、心配している。③この度も、北朝鮮への旅に行かなかった。これは大きく心残りとなる。④騎士誌の12月号の記事を書き上げた。もう、これが最後の原稿かも。いま、迷っている。
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最後の原稿などどおっしゃらないで下さい。
返信削除皆さん楽しみにしております。
87歳の母も楽しみにしております。