長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2012年8月21日火曜日
入院4日目。やっと自室へ。それから苦悩、もう1つ山
熱が下がったので、カラダじゅう、着けられていた器具がすべて外され、自室に戻った。「やあ、帰ってきたぞ」。喜んだのは、よかったが、もう1つ、越えねばならぬ、苦難があった。考えてみると、全身麻酔と手術のため、水を1滴も飲んでいない。飲んでは、いけない。禁止だ。それが計算すると、「36時間」、水分を全く取っていない。だから尿が出ない。「これが、オレにとっては、苦しみだ」。結局、16時間、微量の尿しか出なかった。詳しく言うと、16時間に出た尿は、小さなポットペトルに8割ぐらいだった。「出ないな」「出ないぞ」と本人の胸は黙っているが、悩んでいる。すると、女性が2人来て、お互い、ぺチャ、クチャ、しゃべっている。「うるさいな」は心の中。それでも止まぬので、病人が言った。「ロザリオでも、唱えよう」。すると1人が言った。「2人、3人、居るところには、イエスも居る。だから、4人だね」。すると、即座に、他の女性が言った。「5人、たい。マリアさまも、居らすモン」。その瞬間、病人の心中に、ビビッと、強烈な、いなずまが走った。昨夜の苦難には感じなかった。いま、それを感じる。イエス、主は、共に、ソバに、居られたのだ。「イエスは居られる」と本に書いてあり、司祭も、そう説教する。しかし、それは、言葉であって、生きてはいない。いま、この場所で、平凡な女性たちが、生活のなかで、何気なく語っている。そして「ハ、ハ、ハ」と笑っている。この現実の中に、この生活のなかにこそ、イエスは共に、ソバに居られて、いっしょに、苦しみ、悩んでくださる。それを痛烈に体感した、信仰生活の一こまであった。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿