★「モシ、、モシ、山崎さん、お元気ですか?変わりない?どうして今日、電話したか、分かる?」「今日は、福者ペトロ岐部神父と同志殉教者188人の記念日でしょう」。ああ、やっぱり山崎さんは分かっておられた。
★この福者殉教者の中には、3人の司祭がいる。ペトロ岐部神父、ジュリアン中浦神父(外海地方の出身で、遣欧少年4人の使節として、ローマに派遣された。後に殉教する)、それに金鍔(きん・つば)次兵衛神父である。
★写真は、外海の山崎さんのお宅で昨年8月に写した。
★山崎さんは「金鍔次兵衛神父」に深い関わりがある。「あれは、いつ、でしたか?洞窟を発見したのは?」「1983年でした」。外海の山中にある「次兵衛神父」の隠れ家だった洞窟「次兵岩」。山崎さんは、隠れた山の中に、江戸時代から森の人に利用されていた巨大な洞窟を、検証して、「次兵岩」は、金鍔次兵衛神父の「ゆかりの地」と判断した。この洞窟に魅せられて、「お恵み」の場所に変えて、人生の後半を「次兵岩・巡礼」に奉仕し尽くした。彼の人生自体が、この巡礼の恵みで、深い信仰への転換となったのだった。山崎さんの人生を大きく変えた洞窟である。山崎さんと言えば、金鍔を忘れない。
★外海の美しい海と山々。その山中に「次兵岩」はある。山崎さんは、信仰と熱意をもって、金鍔次兵衛神父の列福に協力した。「次兵岩」への、けもの道や、流れる沢や、山林はそのまま残して、洞窟に祭壇を設けて、聖母マリア像を立てて、巡礼者の案内役となった。
★2013年まで400回の巡礼を果たしたと、電話では語り、懐かしがった。山崎さんの電話の声は、チカラ強い。言い伝えによると、金鍔神父は、変装が得意で、全く気づかれずに役人の内部まで侵入し活躍した。遂に、捕らえられて、殉教した。トマも山崎さんの案内で、3度「次兵岩」へ巡礼した。異様な岩の奥に入った時、涙が出た。その間、188人が福者に挙げられる。
★山崎さんとの電話会談は、28分つづいた。「近いうちに、もう1度、山崎さん宅へ訪問しますから、元気で居てください」と約束した。山崎さんは沢山のビデオ、外海の資料や、式典、巡礼者など多彩の記録を保持している。貴重な存在です。山崎政行さんを外しては、外海を真には語れないだろう。「生まれは、いつね?」「昭和4年」。90歳になる。
私も行ったことがあります。といって、入り口の西海交通「旧扇山分校前」までですが。あ、3度も行ってらっしゃる!
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