★中学生たちに「カエル」の話をしたとき、〆(しめ)の言葉を忘れていた。「お母さんカエルは、『水』に流されたが、私の母は、『火』の中で燃え尽きたのです」。これが話したかった肝心な所です。
★「原爆講話」を話した日、ホームに帰って、自室で、高原修道士さんと講話の意見を話し合った。高原さんは言う。「被爆の後、小崎さんは、どのように生きたのか、の質問が生徒からあった。トマさんは、その質問の答えを避けた。被爆の後からホームまでは、話しません、と断りを言っていたが、やはり言うべきでなかったか」
★実際を言えば、校長先生にも、平和学習の担当の先生にも「カトリック修道士」の身分は打ち明けたくなかった。結局は、新聞に「91歳の修道士」「修道院へ入り、修道士となる」と出たので、身分がバレルことになる。しかし中学生たちには、「カトリック」「修道士」など、宗教のことは出したくなかった。いろんな宗教の家族も居るだろう。気乗りがしなかったのが事実です。
★トマは、高原修道士に答えた。「被爆直後に、神学校に入って、修道士になった」とは言いたくない。短い時間だから理解してもらえない。私が原爆体験で感じたことは、私の人生の入口に過ぎない。トマにとって、生きるとは、もっと奥が深いんだ。
★『孤独と出会い』。孤独は分かるだろう。若くして両親を失い、兄弟も居ない。原爆孤児になった。『孤独』そのものだ。しかし沢山の『出会い』があって、良い出会いもあれば、悪い出会いもあった。良い出会いは、『つながり』がある。それは『愛と、イノチ』の、つながり。これが人生なんです。
★トマが経験した「原爆」には、もう1つの体験があった。それが「アウシュヴィッツ・ナチの強制収容所」だ。「原爆」と「アウシュヴィッツ」、これが私の中で、表裏一体になっている。「アウシュヴィッツ」も原爆と全く同じ状況だった。「助けない」「困難が来たら逃げた」「仇なる人間は許さない」。これは人間なら当然だ。許せない、赦せない。今の世の中は憎しみで一杯だ。そこに救いはない。希望もない。
★しかしアウシュヴィッツの悲惨な憎しみの場で生きたコルベ神父は、「みんなを助けた」「困難が有っても逃げなかった」「ナチの憎い行動まで赦した」。そこに人間としての希望があり、解決がある。『愛とイノチ』の真実がある。恨んで当然。憎んで当然。仕返ししても当然なのに、コルベ神父のような『ヒト』も実際に居る。そこに人間の弱さへの答えがある。人間の明るい希望、憎みを捨てる可能性、平和への未来がある。トマにしてみれば、そこまで体験を話さないと、人生の真実、総ては語れない。
★トマの体験は「原爆」と「アウシュヴィッツ」。2つが重なってくる。「生きるとは『孤独と出会い』、『愛とイノチ』、これが人生」。
トマさん
返信削除時間の制約かある中で語る事の難しさや、ジェネレーションギャップもあったでしょう。
生徒さんたちは、トマさんの言葉のひとつひとつに、愛と命を感じとられたのではないでしょうか。