2019年7月21日日曜日

75頁の長崎歴史散歩のメモ。手元に残る貴重な資料。地図入り

先日、訪れた「長崎・めがね橋」と「橋から見た川下の風景」です。長崎には、歴史柄、この他、「出島」「唐人屋敷」「オランダ坂」など、有名な地がある。昭和49年頃、「長崎歴史散歩」という市民むけの実地巡りがあった。好んで参加した。その時、メモした古い手帳が手元にある。いま屋外は、梅雨で、しきりに雨が降っている。ガラス戸のそばで、古い手帳をめくってる。
★最初に、長崎に入港した船は、ポルトガル船だった。強烈な印象を与えたのだろう。ポルトガル語が今も残っている。パン、タバコ、コーヒー、コップ、ラシャ、サラサ、カステラ、キリシタン。長崎の人は、カボチャのことを、ボウブラという。これもポルトガル語からきている。ポルトガル船は、宣教師が乗ってきた。幕府は、キリシタンに苦しんだので、ポルトガル船との交流をやめて、オランダ船に切り替えた。出島ができて、鎖国となる。
★鎖国を行なった幕府は、唐人船には入港を許した。オランダ人は出島だけで暮らした。唐人さんは、広い敷地の「唐人屋敷」があった。オランダ船は毎年、1隻から12隻の入港。唐船の入港は、多い年には194隻を数えている。鎖国から、安政の開国まで唐船の入港は、3.557隻を数えている。
★昭和49年と言えば、45年前になる。あの頃、地元の郷土歴史家から、直接に聞いた話は貴重な遺品だと思って、懐かしかった。もう、そろ、そろ、梅雨も上がりだろう。暑い夏を、待っている。

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