長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2014年12月7日日曜日
なぜか、母を思う。母は戦争を生きて幸せだったか
なぜか、母親の写真を載せました。明日が、太平洋戦争の開戦日でしょう。昭和1ケタの人間は、どうしても戦争のことは忘れられません。避けて通れない。夫婦で出稼ぎで、北朝鮮へ出た。早くして夫を病没させて、ひとり現地で苦労したと思いますよ。長崎へ帰ってからは、戦争です。原爆で行方不明となった。苦労の多い母から教えられたのか、「人の痛みをわかる」でなくて、「人の痛みは、3年でも、こらえる」というのが、あったように思う。人は、そうそう、理解しては、くれない。人に頼らずに、自分で苦しみを受け止めて、耐えて生きなさい。そういう教えでは、なかったか。人の痛みを理解するのも難しいが、自分で耐えていくのも、これも難しい。母は、戦争時代を生きて、幸せだったろうか、と思う。幸せなことは、ないだろう。日本は不幸な戦争の時代を、長く苦しんだ。母が教えた言葉に、「わしが、テッポで、わしを、撃ったら、わしも、たまがる。わしも、たまがる」。たまがる、は、ビックリする、おどろく。わたしがテッポウで、鷲(わし)を撃ったら、鷲もビックリするさ、私も、ビックリするさ、ね。そんな意味だった。世の中は、撃つのは、いいけれど、かならず反動がある、そういうことでしょう。反動はほんとに、あります。
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