長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2014年12月6日土曜日
箱入りの大きな紅白おマンジュウをいただいた日
昨日は、聖フランシスコ園の創立記念日だそうで、箱入りの大きな紅白のお饅頭をいただきました。園の入口に立っているアシジの聖フランシスコのご像です。遠くに、多良の山並みが見えています。この辺りは轟きの瀧もあって、風景の良い場所です。★戦争が終わって、聖母の騎士のポーランド人修道者たちは、孤児やお年寄りの福祉のために土地を求めました。山並みは、諫早のお殿様の土地で、諫早家の所有でした。「福祉のために、小長井の山中の土地を寄付していただけませんか」「あそこは馬を飼う土地です」。いろいろと交渉のすえ、結局、修道者たちの熱心と、「馬を飼うより人を育てては、いかがですか」の説得に納得して、小さな家々ができました。老人も暮らしていました。老人の家を正式に建てたとき、もっと手前の、海よりの土地を求めて聖フランシスコ園を建てました。50数年になります。歴史を知っている者には、山も、瀧も、海も、すべて思い出があるのです。人生につながるご縁があります。紅白のマンジュウを食べながら、思い浮かべました。
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コルベ神父さま一行が長崎に着いた時に、大浦天主堂でマリア様が出迎えたように、小崎さんがそちらに移られと時には、聖フランシスコが出迎えて下さったんですね。
返信削除小崎さんは長年奉献されている
返信削除フランシスカンでいらっしゃいますもの(^-^)
アシジの聖フランシスコのごぞう大歓迎ですね。
立派な紅白のおまんじゅう、美味しそうです。
聖フランシスコ園の歴史を初めて知りました。