竹細工の古い井戸が置かれた。
「めずらしか、ばい」
「よか、よか、こころが、なごむ」
過去の思い出、井戸を懐かしむ。
「こんな、時代も、あったのよ、ね」
水は、大切な、生きる恵み。
皆さん、寄って、見ているよ。トマも仲間に入り、思う。あの井戸。
ポーランド式の、手巻きハンドル井戸。
町に行って、修道院に帰ると、飲んだ。
ゼノさん、マチアさん、みな、飲んだ。
「なつかしい、な」
新・建物で、埋まって、なくなった。
今は、もう誰も、覚えていない。
「時代の流れに、呑まれて、悲しいよ」
今の世は、便利、快適、スピード。
「スマホ、なし。ガラケイ、だよ」
★食事の話題に、トマが「今日は、ビンセント神父さんの修道名の日だよ」。瀧神父さん、大野神父さん、話題にのって、「どうして、いるかな?」と心配した。アメリカへ帰って、ホームに居るらしい。★昼食に、「ふかしイモ」が出た。戦争中は、常食だった。あの頃の「イモ」は、ウマかった。イモの味も、変わったのか。「イモ」を、人に例えれば、「凡夫」「凡人」だね。「それで、よか、たいね。平凡に、今日も、ホームで生かされました。★「凡人に、なろう。野を、超え、山を、越え」(青之助)。長崎の聖母の騎士の近所に、こんな句の塔が立っていた。
竹細工の井戸を作られた方の優しさと、
返信削除続く発想の豊かさを感じます。
手前の桶やひしゃくなど細かいところにも、
自然の色合いや形状を生かした工夫が
見られます。
全ては生かされて輝いていますね。
井戸の置物を囲んで、エピソード記憶を
刺激される皆さんの集いには、力が
みなぎっているように思います。
ホームの廊下もきれいですね。
施設・設備を大事に使い、日々の管理が
徹底されているのでしょう。
場を正しく生かしている皆さんの努めを
感じ取りました。
聖母の騎士に井戸があったのは
初めて知りました。トマさんは、
ますます生き字引化されています。
今は目に見えない井戸も、建物の下で、
きっとしっかり存在していますね。
水の力と祈りは、聖母の騎士を護って
くれているでしょう。
ビンセント神父さんは、バイクに乗って
椿原の学校へ教えにこられていた米国人の
神父さんでしたでしょうか。
衝撃的に自由な写真を初めて見た時、
がぶらってぃは、ある種の「赦し」を
見せてもらった気がいたしました。
ビンセント神父さんの修道名のお祝いを
想われたトマさん、瀧神父さん、大野神父さんの
祈りは、米国へも飛んだと思います。
ふかしいもにも季節の移ろいを感じますね。
ホームの献立は、返す返すも
よく工夫されていると思います。
最近は、シルクスイートなどと小洒落た
名前をつけられた丸中もあるようです。
日本の農はますます進化します。
トマさん、凡であり続けることの尊い安定を
知らせてくださってありがとうございます。
がぶらってぃの超えるべき波は高いかも
しれませんが、泰然と進みたいと思います。