トマと同じ歳だった。
今日が、命日です。
2002年没。もう18年になるね。
騎士社の事務長や養護施設の事務長、ホーム・聖フランシスコ園の事務長も勤めた。
司会が上手で、手品で、皆を喜ばせ、さわやかに弁が立った。トマの、ライバルだったね。
修道士は、どのように逝くのが、幸せか。
手本を示してくれたのが、木下辰巳修道士だと思っている。
9月15日は、以前は「敬老の日」だった。ある年の敬老の日、日曜日に当たっていた。
晩年、木下修道士は、愛知県の修道院に居り、徐々に肺活量が落ちて、サンソ・ボンベの生活となった。
それでも日曜日のミサは、信徒に寄り添い、7時と、9時のミサで祈った。彼は、「お茶」を振る舞うのが趣味で、ミサ後、お茶の好きなお年寄りを数人、修道院の食堂で、もてなし、喜ばせた。
その夜、修道院の夕食のとき、谷村神父さん(故人)と末吉神父さん(故人)、彼と3人で、京焼のちゃわん、久谷焼きのちゃわんを出して、ゆっくりと玉露をたてて、2人の神父さんを喜ばせた。
その夜、修道院の夕食のとき、谷村神父さん(故人)と末吉神父さん(故人)、彼と3人で、京焼のちゃわん、久谷焼きのちゃわんを出して、ゆっくりと玉露をたてて、2人の神父さんを喜ばせた。
その時、彼が言った。「お茶の心は、感謝の心。人に対して、真心を尽くす。相手を持て成す心です」
★翌日、16日の朝、ミサに出ないので、2人の神父さんが部屋をあけると、ベッドの上で木下辰巳修道士の呼吸は止まっていた。枕辺には、葬儀に飾る写真と、戸籍抄本が置いてあった。享年74。多くの信徒が、修道士の死を悼んだ。
ある信徒が、ポツリと言った。「木下修道士さんの人徳やね。隠れて、いいこと。祈りに支えられた生活をした人やね。日本的な文化を大切に理解し、その奥に福音を見極めていた。茶人、俳人、聖人だよ」
★「遠いむかしの話だが、今を生きるトマの手本、あこがれになる」
★翌日、16日の朝、ミサに出ないので、2人の神父さんが部屋をあけると、ベッドの上で木下辰巳修道士の呼吸は止まっていた。枕辺には、葬儀に飾る写真と、戸籍抄本が置いてあった。享年74。多くの信徒が、修道士の死を悼んだ。
ある信徒が、ポツリと言った。「木下修道士さんの人徳やね。隠れて、いいこと。祈りに支えられた生活をした人やね。日本的な文化を大切に理解し、その奥に福音を見極めていた。茶人、俳人、聖人だよ」
★「遠いむかしの話だが、今を生きるトマの手本、あこがれになる」
お茶の修道士さんのことをどうして知ったのか、
返信削除今は思い出せません。が、
手品とお茶の修道士さんとして、もしかすると
教会学校で聞いていたのかもしれません。
木下修道士さんは、
お茶の繋がりは、信仰の繋がりにも通じると
早くから悟っていらしたのですね。
お茶は、信仰の実践だったとわかります。
神との対話でもあったでしょう。
枕辺に葬儀用の写真と戸籍抄本を用意されて
永遠の眠りについた木下修道士さんは、
カトリック修道士でありながら、
日本人らしい始末のつけ方を示されたのですね。
痕跡が残りました。心を捕まれました。
トマさん、大事な日を共有くださって
ありがとうございます。がぶらってぃは、
これからお御堂へ出向いてみます。
入れるところがあると思います。
18年前の自分を振り返りながら、
今日、アンプロジオ・木下辰巳修道士さんと
出会った感謝をもって祈ります。