介護の詰所の手すりに、何気なく置かれた、2枚の小さな額。2人とも、過去の園長神父さんです。やはり、介護の職員さんの思いに、何か残っているんですね。「痕跡を、残す」という記憶ですよ。
★毎日、食堂へ行く度に、往復、この小さな額がトマの目にとまる。神父さんで在りながら、心底、介助の手助けを勤めた。その行為が、ホームの職員に、何気なしに、受け継がれ、置かれつづけている。要は、「気づかい」「思いやり」ですよ。何が、「痕跡」として、残っていくか。いま頃の職員さんは、2人の園長神父さんを知らないかも知れない。だが、額は残されている。ホームの介護の「タマシイ」のようなモンだね。
★右側の額が、初田徳一神父さんです。広い芝生の庭に、大きなマリア像を建てて、周りに池をつくった。赤い屋根の家も建てた。この庭で入居者と一緒に、汗をながして「ゲイト・ボール」に励んだ。
★左側の写真は、坂谷豊光神父さんです。老人たちを、チカラづけ、慰めるのが、ウマかった。
★2人とも故人となったが、いつまでも痕跡を残す人は、何か、そこには「秘めた宝」があるからと思う。もともと「痕跡」という言葉を教えてくれたのは、作家の遠藤周作さんだった。
★遠藤先生と対談した時、「コルベ神父のような『痕跡』を残した人はいない」とトマに言った。アウシュビッツを訪問した後、ホテルに帰って、あの地を踏んだクツを捨てた、とも言った。強烈な印象を与えるのが、痕跡だろう。「彼(コルベ神父)でなければ出来ないことであるから痕跡を残す」と、遠藤さんは定義を言った。
★長年、ホームに勤める職員に、「なぜ、この額を置いているのね?」と、額のソバで聞いた。(そう言えば)と、不思議そうな表情をして、「わかんない」。
★やっぱり、何か、有るんだな。惹かれるものが。置かれる理由が。ついつい、この額は残してしまう。「彼しか、出来ない」とは考えられぬ。額に残してもらいたいとも思わないが、まあ、2人は幸せだよ。
★「言葉が、ウマイ」「説得、じょうず」だけじゃ、感心せんね。何かが、人のこころを、捕らえる。もちろんトマは、初田神父さんを知っている。オモシロか、神父さんやった。坂谷神父さんには、ずい分とお世話になった。記事を取材し、書く面でね。人のこころをツカムのが、ウマかったな。「痕跡」に、理由は、なかろう。
「何気なく置かれている」愛を感じます。
返信削除聖フランシスコ園が、いかに創造的であるかに触れた思いです。
「痕跡」は形として残る物であっても、
そこに思い・信念・願い・祈りのような
ものがあってこそと、深く共感いたします。
全ては[心・技・体]の[心]に集約されるというのでしょうか。
[心]が抜けていれば、[体]は相応しく整いませんし、
[体]で表されるための[技]も見えて来ません。
初田神父さんの整備されたマリア像の前で、
しばしの時を過ごしたいと願います。
フランシスコ園の空気を感じられれば、
坂谷神父さんの行いによるケア感が
今も生きていることを感じられるでしょう。
フランシスコ園を体感したいという思いが募ります。
トマさんは遠藤先生とも対談されているのでしたね。
トマさん、トマさんの繋がりを分かち合ってくださって
ありがとうございます。トマさんの日記は、がぶらってぃに
とって、魂の瓦版です。