恒例の、復活祭前の「年の黙想」。ホームと湯江教会で、3日間始まる。講話は、李信衡神父さん(長崎・聖コルベ志願院院長)。夕方、6時30分から共同のロザリオを唱える。次に、中に休憩を挟んで、8時30分まで講話。その後、ゆるしの秘跡があった。李神父さんの話を聞いて、自分なりに整理してみた。
★(1)イエスの時代。聖書(マルコ10-17~)から、金持ちの青年の話。青年はイエスに問うた。「永遠のいのちを受け継ぐには、何をすればよいか?」「あなたは、掟を知っているはずだ」「それらは皆、守っています」。イエスは彼を見詰めて、慈しんで、「欠けているものが1つある。持てる物をすべて売り払い、貧しい人に施しなさい。それから私に従いなさい」。金持ちの青年は、気を落とし、悲しみながら去った。
★(2)千年が経って、イタリア・アシジに、織物商人の息子がいた。金持ちの青年だった。彼は十字架からのイエスの声を聞いて、立ち上がる。すべてを捨てて、父親から受けた物はすべて返して、貧しく生きるフランシスコとなった。夜を徹して祈り、托鉢し、崩れた教会をレンガ1つ1つ自分の手で修復し、清貧の生活を始めた。イエスの後に従う。フランシスコの生き方をあざ笑う者も居たが、彼の熱意と信仰、純粋さに惹かれて多くの弟子たち、兄弟たちが集まった。聖フランシスコは、イエスの生き方の再臨だった。苦しみの中に聖痕も受けて、完全にイエスに従う望みに生き抜いた。
★(3)二千年が経って、教皇フランシスコが選ばれた。歴代教皇の中でフランシスコは初めての名前だった。10月4日、聖フランシスコの祝日に、教皇さまはアシジを訪れた。そこには聖フランシスコの遺体を守る大聖堂がある。李神父さんは、その修道院に勤めていた。修道院の兄弟たちも、町の人びとも、教皇さまの歓迎に湧いていた。教皇さまはヘリでアシジに到着される。真っ先に訪問したのは、障碍者の子供の施設だった。昼食は修道院で行なわれたが、教皇さまは修道院内の別の部屋で、貧しい人たちとの食事を楽しまれた。李神父さんは、聖フランシスコ大聖堂で、僅かな秒数、教皇さまにお会いした。その後、教皇さまは、観想修道女クララ会へ行かれて、シスターたちに40分のお話をなさった。「障碍者」と「貧しい人」と「観想シスターの祈り」。私たちへの限りない愛のために貧しい者となられたイエスの後に従う、これが教皇さまの望みだった。
★(4)フランシスコ教皇さまは、いま、私たちカトリック信徒に、何をお望みだろうか。今朝の食卓で話題となった。その問いには、各々が考えるべきだろう。各々が答えを出す。ヒントになる話が出た。それは「北原玲子さん」の生き方だった。大学教授の娘という恵まれた環境にあったのに、廃品回収者たちのグループへ自分も一緒に生活した。貧しさを共有し、呼吸した。子供たちを愛し、仲間を愛し、主イエスに、愛と苦悩を喜んで捧げた。ゼノ修道士も、そうではないか。自分の宣伝ためでない。ゼノ修道士は自分には厳しく貧しく生きた。新聞を利用して広く物資を求め、戴いた物資はすべて貧困者、困窮者たちに渡した。貧しい人、困っている人、病める人の支えになる、力になる、理解者になる。それが今の世を、生きる我々に問われているのでないか。朝の食卓での会話だった。
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