2019年3月13日水曜日

旧知の友次さん、自室に来る。いま盛んな、軍艦島の案内人

ホームの自室に人が訪ねて来ると、新しい風が吹いてくる。
★長崎市・神の島の友次さんが来た。しばらく傍に居て、近況を話してくれる。彼の姉妹2人がホームで暮らしている。だから時々ホームには来ている。しかし会う事はなかった。今度は「写真集」を送ったので、初めて、お礼も兼ねて寄ってくれた。
★元気そうな、お顔、表情、82歳。「風が吹いてくる」と感じたが、それは「海の風」だった。長崎の海に浮かぶ「軍艦島」。話題の島になっている。正式には「端島(はしま)」という炭鉱の島だった。コンクリートの建物が、トツ、トツと上に伸びて建ち、広い海に横長に浮かぶ。まさしく戦艦に形に見える。戦争中、アメリカの潜水艦が、この辺にも出没していた。軍艦と間違えて、魚雷を発射した、などの噂も流れた。いつしか軍艦島と呼ばれるようになった。
★毎日、長崎港から観光船が出る。友次さんは、その案内人を、かれこれ10年勤めている。港を出て、海上を約45分、島の周辺を巡り、上陸する。友次さんは若い頃、この炭鉱で実際に働いた経験の持ち主だ。その苦労話を聞かせてくれた。端島炭鉱は戦争中から重宝されていた。地下・千米に石炭堀の現場があるという。そこまで到達するのに、2時間はかかる。現場で働いた実績のある案内人、友次さんのガイドは好評だ。「ぼくのガイドが、模範のテキストになっている」と彼は笑った。
★彼が住む神の島の話も親しみを覚えた。前にも書いたが、以前は渡海船で神の島へ渡った。オラショの巡礼旅で、何十回となくお世話になった。1丁目は仏教の家々。2丁目は仏教が半分、カトリックが半分。3丁目は全部がカトリック、そんな島(島といえども陸つづき)だった。神の島教会は2丁目にある。友次さんの家も2丁目で、建てた頃は、道は狭く、周囲に家は無かった。今は家々が並び、道路も広くなり、バスも通い、便利になった。もう船は通わない。友次さんの話を聞くと、思い出と懐かしさが湧いてきた。
★「82歳にしては、元気だよな。頑張って、な」と励ましながら、彼を見送った。長崎の海風を感じるひと時だった。友次さん、ありがとう。神の島は忘れない。神の島は観光にも、お勧めの場所だよ。
★人生には、その人ならではの適任がある。それを見つけた者には、喜びの意義があるだろう。生きているからには、いい思い出を沢山、つくろう。それが幸せ。

0 件のコメント:

コメントを投稿