昨日の日記に「みどり」さんからコメントが寄せられた。「克明な描写でよくわかった。。タオルの間違い、おかしくて笑った。畑で、金の十字架の発見は興味深い。『原城の宿』は外観が城の石垣を模していますね。前にいる尾の長い動物は何でしょうか。ライオンですか?」
★入浴・食事の「原城の宿」の外観を、ぜひ撮りたかった。巨大な壁の形式なので、近くでは撮れない。バスに乗って、サヨナラする時に、揺れるバスの窓から、瞬間的に撮った。それが昨日の写真でした。「尾の長い動物、ライオンですか?」の答え。みどりさん、よく分かりましたね。写真を拡大して、興味深く見たんですね。まさしくライオン「獅子喚」でした。
★ライオンの前で、写真を撮りました。彫刻家、北村西望先生の作です。長崎市の平和公園に、平和祈念像があるでしょう。右手を天空に、左手を横に伸ばし、足は「あぐら」をかいた巨大な像、年に1度は必ずテレビに出ます。製作者が北村西望先生で、先生の出身地が、この有馬なのです。西望記念館もあります。
★昨日のドライブ旅行で、1つ、印象に残った像があります。それはロザリオを祈る親子のキリシタン家族の姿です。左側には役人の手と刀が見える。「キリシタンを捨てよ、さすればイノチは助けてやろう」「いいえ、お役人さま、わたし共は、ゼズスさま、サンタ・マリアさまと、いっしょで、ごぜーます」。彼らの声が聞こえてきそうな場面です。
★昨日は、この親子の姿をジーッと見詰めて、度々脳裏に描きました。原城跡では3万7千人が殺された。悲しい出来事です。「キリストの教えを信じれば、なぜ、こんなにも苦しみ、痛みを受けるのだろう。キリストの弟子たちも次々に殉教している。イノチを捧げた。信じることは、イノチを賭ける試練だった。信仰は厳しい」と、生き方の覚悟が問われます。
★わたしの常の言葉に「生かされて、今日も、祈る」がある。次いで「苦しみは、のち、神の喜びに変わる」がある。前者は分かるが、後者は、中々人間の知恵では、理解し難い。だが、そこまでの体験に至らなければ、信仰は本物では、ないだろう。人それぞれ、与えられる苦しみ、痛みは異なる。み旨として受け止め、祈りつつ耐えてこそ、希望の光が見えるかも知れない。助けて、ください。ゼズスさま、マリアさま。
「獅子喚」と「北村西望」「平和祈念像」を調べました。この先生は102歳までお元気だったとか。島原の乱の惨は聖母の騎士で読みました。都合の悪いことはどのような手段ででも弾圧する時の為政者にもキリシタンの心までは変えられなかった。殉教された名もなき方々にただただ敬服いたします。
返信削除み旨として受け止め、祈りつつ耐えるー今の自分に必要なこと
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