2018年7月27日金曜日

大正・昭和一ケタ生まれの子供時代は、軍国一色だ

昼食です。アジの開き焼き、カルピス・ゼリー、アボカド・海藻サラダ、手前、右が、冷たいスープ。栄養師さんがトマの食卓に来て、自慢そうに言った。「このスープ、食べてごらん、おいしいよ」。一口、すすると、冷たくて、おいしい。詳しく聞けば、「トウフと牛乳、タマネギの油いため等をミキサーにかけて、冷やしたもの」。「確かに、おいしいよ」と反応を示すと栄養師さんはニコッとわらった。
★我らが食卓には、5人がいる。女性が2人で、男性が3人。男性はトマ(90歳)と瀧神父さん(87歳)と入江さん(8月1日で、94歳)。女性は93歳と、81歳。トマと瀧神父さんが、よく会話する。昼食時は、なぜか戦争中の「日の丸・弁当」が話題になった。トマの小学生の頃に「日支事変」が始まる。北朝鮮の小学校で、戦地で戦っている兵隊さんの事を思って、(週に1度だったか、定かでないが)簡素な弁当を学校に持って行った。白いご飯に、真ん中に梅干1個。これで日の丸だ。飛行機を作る材料にと、銀紙を集めた事もあった。
★その頃、学校で先生から聞いた話に、こんなのを覚えている。目を負傷した兵隊がいた。足を負傷した兵隊がいた。もう、この場所は危ない。本隊に知らせよう。だが兵隊が少ない。目の負傷者が、足を負傷した者を背負って、死にもの狂いで、本隊に知らせた。2人は、そこでバッタリ倒れる。本隊が応援に駆けつけて、勝利をおさめた。バンザイ、万歳、まさに美談だった。その美談に少年たちの心は燃えて戦場へとあこがれた。「日の丸・弁当」を兵隊さん、ありがとうと、噛み締めたわけだ。あの頃、軍国少年だったのが、惜しい気がする。ホームに居る者は、みな、そんな体験で育っている。
★大正生まれよ、昭和一ケタ生まれよ、バンザイだ、長生きして、いい人生をおくれよ。