思い出した、むかしの話しですけどね。ヨーロッパの列車には、ローカがあって、各部屋があるでしょう。駅に、列車が着いたので、ボクが乗った。すると両脇から、少年とも、青年ともいわれぬ男が入ってきて、はさみ打ちになった。ボクのカラダには、カメラ、バッグが下がっていた。金目のものだからね。地元の人じゃない。他国から流れて来ているジプシーかな。ボクのソバにきて、奪い取ろうとする。ゴウトウだよ。取られたら、タマランね。お客は目に入らなかった。荷物を奪われたら、アウトだからね。思わず、叫んだ。身を守る方法だった。「ナンバ、スット、カッ」(なにを、するの、かッ)。長崎ベンは、きけたね。大声で、わめいたので、強盗は、びっくり。オジケずいて、急いで、降りて、逃げて行った。「ざまー、みろ」。安泰だった。1人旅は、恐ろしい。油断が、ならぬ。一瞬、何が起こるやも知れぬ。それにしても、強盗たちは、ナンバ、スット、カッは、なんて聞こえたんだろうね。よく聖コルベ館に、東欧1人旅をしてきた、という人が見学にくる。最初に聞くのは、「1人旅ねえ、ダイジョウブだった。スリや、ぬすっ人に会わなかった?」。心配になって尋ねるよ。「大丈夫でした」「ああ、それなら良かったね」。旅は危険がイッパイだよ。長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2012年11月6日火曜日
むかしの思い出。1人旅。長崎ベンで、東欧ぬすっ人をゲキ退
思い出した、むかしの話しですけどね。ヨーロッパの列車には、ローカがあって、各部屋があるでしょう。駅に、列車が着いたので、ボクが乗った。すると両脇から、少年とも、青年ともいわれぬ男が入ってきて、はさみ打ちになった。ボクのカラダには、カメラ、バッグが下がっていた。金目のものだからね。地元の人じゃない。他国から流れて来ているジプシーかな。ボクのソバにきて、奪い取ろうとする。ゴウトウだよ。取られたら、タマランね。お客は目に入らなかった。荷物を奪われたら、アウトだからね。思わず、叫んだ。身を守る方法だった。「ナンバ、スット、カッ」(なにを、するの、かッ)。長崎ベンは、きけたね。大声で、わめいたので、強盗は、びっくり。オジケずいて、急いで、降りて、逃げて行った。「ざまー、みろ」。安泰だった。1人旅は、恐ろしい。油断が、ならぬ。一瞬、何が起こるやも知れぬ。それにしても、強盗たちは、ナンバ、スット、カッは、なんて聞こえたんだろうね。よく聖コルベ館に、東欧1人旅をしてきた、という人が見学にくる。最初に聞くのは、「1人旅ねえ、ダイジョウブだった。スリや、ぬすっ人に会わなかった?」。心配になって尋ねるよ。「大丈夫でした」「ああ、それなら良かったね」。旅は危険がイッパイだよ。
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長崎弁おそるべし~~~
返信削除またときどき長崎弁をご披露ください。
わたしの長崎は、長崎の言葉とそれを話していた人との思いでの中で一番輝いています。
外国でも通じるその言葉・・・・素敵です。