50代の女性が1人で、聖コルベ館へ見学に来た。「2泊3日の旅です。あした、帰ります」。長椅子に腰掛けて、旅をねぎらうと、女性が言った。「長崎のヒトって、みな親切ですね」「え?どうして?」。女性が言うには、きのう、長崎へ着いて、いちばん最初に、かの有名な「チャンポン」を食べた。店に入って、「おいしかったですよ」。サイフをあけて、チャンポン代の支払いに、1万円札を取り出した。店の人に渡した。すると店の人、「1枚、くっついていますよ」と、1万円札を戻してくれた。新札だったので、重なっていたらしい。「戻ってきて、ああ、ありがたい」。女性は、東京だったら、こうは、行かなかっただろう、そのように、つぶやいたようだった。旅の初めだからね。女性は感激したわけだ。「長崎のヒトは、みな親切ですね」と、こう、なった。「ああ、よかったね」と思わず、よろこび、ほほえんだ。1人旅が、皆というわけではないが、背中に重荷を抱えたヒトもいるだろう。そういう人が旅の合間に、心が折れては可哀想だよね。長崎のチャンポンは本当に、オイシイ。旅の女性との話は、長々とつづいた。いい思い出つくって、帰ってください。長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2012年11月2日金曜日
長崎のヒトは皆、親切ですね、と旅の女性はほほえんで言った
50代の女性が1人で、聖コルベ館へ見学に来た。「2泊3日の旅です。あした、帰ります」。長椅子に腰掛けて、旅をねぎらうと、女性が言った。「長崎のヒトって、みな親切ですね」「え?どうして?」。女性が言うには、きのう、長崎へ着いて、いちばん最初に、かの有名な「チャンポン」を食べた。店に入って、「おいしかったですよ」。サイフをあけて、チャンポン代の支払いに、1万円札を取り出した。店の人に渡した。すると店の人、「1枚、くっついていますよ」と、1万円札を戻してくれた。新札だったので、重なっていたらしい。「戻ってきて、ああ、ありがたい」。女性は、東京だったら、こうは、行かなかっただろう、そのように、つぶやいたようだった。旅の初めだからね。女性は感激したわけだ。「長崎のヒトは、みな親切ですね」と、こう、なった。「ああ、よかったね」と思わず、よろこび、ほほえんだ。1人旅が、皆というわけではないが、背中に重荷を抱えたヒトもいるだろう。そういう人が旅の合間に、心が折れては可哀想だよね。長崎のチャンポンは本当に、オイシイ。旅の女性との話は、長々とつづいた。いい思い出つくって、帰ってください。
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私も長崎駅についたとたんに「1日乗車券」を知らない人からいただいたことがあります。
返信削除「電車のりますか?わたしはもう帰るので続きをどうぞ使ってください」と乗車券を手渡されたのは昼の13時。
はじめはその人がなにをいっておられるのかわからなかった。こちらが意味がわからないくらいの親切をうける所が長崎。
この人はきっと長崎の人ではなかったのだろうけど、そんな気持ちにさせるなにかがこの街にはありますよね~~