2019年5月4日土曜日

ネコちゃんの名前は「イチゴ=メス」「バナナ=オス」です

ネコちゃん、だよ。ホームの介護の現場で働く松村さん。昨日は、朝食、昼食、夕食の配膳を2階の炊事場から上げて、3階の「雲仙の間」に食卓を整えてくれた。3階では、歩行器や杖を使った入居者が10人、ここで食べている。わたしも、その1人。
★夕食時の話題に、松村さんが言った。「ネコ、つれてきたよ」「ええ、そうなの。見たいな」「2階に、つないでいる」「抱いてきて、見せてよ」「そうよ、そうよ」と女性たちの声も賛同した。「夕食、終わったら、廊下のソファーに連れてきて」「ハイ」
★松村さんは、夫妻で、とも働き。ネコを4匹飼っている。実家から貰ったネコちゃんたちだ。みな、2歳になる。名前を教えようか。「もも」「みかん」「イチゴ」「バナナ」。みな、果物の名前を付けている。
★つれてきたのは「イチゴ」と「バナナ」。右のネコちゃんは、青い首輪で、オスだね。さすがは、リンとしている。少々の物音には、ビクとも、しない。「オレは、マッ(松)ちゃんの、ネコじゃーい。モンク、あるか」と言った威厳あり。「わかったよ、そう、ニラムなよ」。ちゃんと、両足をそろえて、おぎょうぎも、いいね」。それに比べて、「イチゴ」は赤い首輪、メスだな。どうも、落ち着かない。
★キゲンが、よくないのか。場に慣れないのか。そわ、そわ、ジーッとしていない。写真んを撮ろうと、オイ、オイ、コッチ、コッチ、招くが、正面を見てくれない。ああ、こまったな。かお、見せて、くれよ。たのむよ。ダメか。カラダだけ、マル、マル、しやがって。可愛さを見せろよ。
★松村さんの話によると、4匹のネコちゃんの寝床は、それぞれ決まっている。ウンチは同じ場所でする。
★急遽、出現した「イチゴ」「バナナ」のソバには、4、5人の女性が集めって、喜び、はしゃいでいた。暮れゆく夕陽を浴びながら、ホームの一角では、笑いと、和やかさが、湧いているのだった。

2019年5月3日金曜日

傾聴ボランティアの女性が来る。なやみ、ねぇ。心の重荷は~

電話で「この日と、この日、または、この日、どうですか?」と連絡があった。10連休の真っただ中で、申し訳ないが、この日=今日になった。傾聴ボランティアの女性が来る。待っていましたよ。心の動き、重荷を聴いてくださるだけですからね。肩がコリません。自由に話せる。もう3年目。18回目になります。よくぞ根気よく来てくださいます。ありがとう。
★ホームに入ったとき、寂しさ、時間のもてあそび、悩みがあった。最近は、時に慣れて、感じなくなった。日々に流れが出来た。ホームに入ることは、ここで余生を過ごす。無気力の感じ。そうじゃない。ホームに入っても人生は、ある。
★ただ、老いて、これから先、どうなるか。不安はある。老いても変わらぬ生き方でありたい。歳をとって「ヒト」が変わる。暴力や暴言、実例を見て来た。自分は、そう成りたくない。最後まで「マトモなニンゲン」で居たい。幸いか、このホームには、暴力、暴言は居ないのです。
★人生は、長ーがい、思いますよ。幼児の写真を見て、若いころ、壮年の写真を見て、人生、長いですよ。大切な過去の時間を、有意義に生きたか?振り返る。
★やわらかめのご飯、食べています。もう半年になるかな。お腹(なか)の調子がいいのです。朝と、午睡の後、2回、大トイレがある。
★陽の光が温かいですね。ドライブへ出かけたい。この周辺は、大抵、回って知っている。
★県内は平戸とか、県外は、博多や、柳川など、行ってみたいですね。
★誰かが来て、車で連れ出してくれる人は居ないね。
★ああ、やっぱり寂しいモンだ。

2019年5月2日木曜日

魚を食べる。肉を食べる。イノチをつなぐ。感謝を忘れない

『アジの生き造り』を食べた後の姿です。アタマと、骨だけが、きれいに残されている。尾に添った小さな針が伸びているが、小刻みに、まだ、ピク、ピク、動いていた。「おいしかったアジ、イノチある生き物を頂いて、感謝あるのみです」。心で、念じた。
★ヒトは、魚を食べ、肉を食べ、生きている。生き物を食べて生かされている。人も、生物も、めぐり、めぐって、イノチを、つなぐ。イノチの連鎖です。自然の成り行きで、仕方のないことです。あるのは感謝を忘れないことです。
★いま、ホームでは、エレベター拡張工事で、3か所で食事をとっている。山内園長神父さんは、3か所を回って「食前の祈り」を先唱している。山内園長神父さんは、トマが『テレビ』に出たのを喜んでくれた。「園の全景も、リッパに出たよ。食堂も、お聖堂(おみどう)も、高来の町も、雲仙も出たよ。いい宣伝になる」。チラッと、その声を聞いて、トマも喜んだ。
★弱い者も、強い者も、かしこい者も、普通の者も、みんな揃って、手を取り合ってこそ、平和になる。「令和」は、そんな時代になるといい。
★午後から2人の女性が来た。長崎市からです。「濱田神父さまのダイヤモンドお祝いを持って来ました。お会いして、瀧神父さまにもお会いして、ここにも来ました」と、ビニール袋を手渡した。「感心や、ね。わたしのテレビ、見た?」「いいえ、見てないです」。それでは、と録画したテレビを見せた。「よく出来ていますね」と喜んでくれる。短い出会いだったが嬉しい。
★もう、歳も90代に入れば「ゆっくり」やろう。でも確実に。そして「気力を失うな」。がんばれ、がんばれ、と強いるのではなく、良かったですね、いいですね、だいじょうぶだよ、共感してやろうじゃないか。そして生き物を食べることには、感謝する。優しい心を持ちたい。

2019年5月1日水曜日

「令和」の時代が始まる。最初のお客は、若者の2人だった

「令和元年」5月1日。令和の時代が始まる。
★5月は、教会では、聖母月になっている。湯江教会にも、聖母マリア像が飾られた。この月は、特に聖母マリアさまの御助けを願おう。
★マリアの御名を呼べば、心は安らぐ。人生に於いて、どれほどマリアさまの導き、お恵み、お守りを頂いたであろうか。マリアの信心を教えてくれたのは母親だった。
★マリアさまに、何をお願いしようか。将来、わたしの老いは、どうなるのでしょうか。「みむねのままに、我に成れかし」。マリアさまの御言葉を口ずさむ。それしか、ないでしょう。

★「令和」になって、最初に来たのは、哲さん、美樹さんの2人だった。3月に、誕生会で会った。テレビに出たとき、最初にアナウンサーが、「日記を書いて、若者の関心を集めています」と語ったが、それは、この2人のことを示していた。2人に出会った体験は、お恵みだったと言える。おみやげに、わたしの好きな「九十九島センペイ」と「クルス」を持参した。これで、お菓子は、慰めになる。有り難い。
★2人と一緒に、哲さん運転で、近くをドライブした。「おおはし」で食事をする。買い物をする。語り合う。楽しいひと時を過ごした。午後2時頃、別れる。
★ベッドで横になっていると、聖母の騎士の松下修道士さんが来た。「おみやげ、だよ」。長崎名産の「びわ」だった。見たこともない、大玉の「びわ」に、タマガッタ。参ったよ。

2019年4月30日火曜日

「平成」今日で終わる。谷村神父命日。昨夜シスター院で食事

アルナルド谷村達郎神父さまの命日。明るい表情で、気安く誰にでも話しかけ、司祭の務めを果たしていた谷村神父さんが、亡くなられて1年になる。
★今朝、ミサのとき、司祭から「谷村神父さまのため祈りましょう」とお告げがあった。冥福を祈りました。
★ホームに2年ほど入居されて、体調を崩し、ホームで逝去された。写真は、谷村神父さんと「いこいの村」へ入浴に行ったときの仲良し2人です。優しい穏やかな気持ちの人柄で、誰にでも寄り添って、気楽くに声をかけてくれる。一緒に居ても楽しい神父さんでした。
★昨夜は、小長井町のシスター修道女院へ食事の招待をうけた。湯江、小長井の男子修道者たちがお世話になった。
★シスターたちは小長井修道院の司祭の典礼を受けている。感謝の意味もある。復活祭のお祝いもある。濱田盛雄神父さんの司祭ダイヤモンドお祝いもある。それでお招きとなった。シスターの手作りの料理ばかりです。楽しいひと時を過ごしました。
★「平成も終わりだね。平成最後の宴(うたげ)だね」。手前がトマの席でした。デジカメで写した。司祭が5人、修道士が3人で乾杯した。話題は専ら「昭和」の内容だった。
★「平成」は今日で終わります。平成30年、聖コルベ記念館と、ホームの生活でした。「昭和」3年から生かされて、「平成」を得て、「令和」に入ります。

2019年4月29日月曜日

「教報」の1文、トマの人生を、よくぞ、まとめている。感謝

3月の下旬だった。1人の女性が自室に訪ねてきた。
★「カトリック長崎教区報の編集をしております。年に数回、『人』の欄を載せています。今度、小崎さんの話を聞かせてください」
★私も、これまで、沢山の人に出会って話を聞いて、そこに不思議な導きや、見守りを見つけて信仰実話を書いてきた。「今度は、書かれる番かな」そう思いました。人は、何を『体験した』で、何を語れるか。自分が実際に、乗り越えたこと、人生に必要なことを語る。そこから得たもの、いいところを伝えていく。
★女性は問うた。「日ごろ心がけていること、好きな言葉、忘れられない出来事など教えてください」。私は、普通に話しました。女性が聞いて、女性が書いてくれて、出来上がったのが、下の文面です。喜んで、有り難く拝見しました。それは、私の人生が、この文面に「詰まっている=凝縮されている」のを感じたからです。満足しました。
★なかでも、一番胸にひびいたのが、下から2段目、左側の、次の文章です。
★「被爆後20年間は病に苦しむが、37歳で初誓願宣立。『ミロハナ院長や濱田増治院長、修道会は見守ってくれた。修道士になって元気に働き、多くの出会いがあった』」
★この1文こそが、トマの根幹と思います。病気で弱い。使い物にならない。17歳で入って37歳、20年間ですよ。普通ならば出て行きなさい。それを修道会が温かく見守ってくれた。導いてくれた。忍耐してくれた。だから、こそ今が、ある。この1文に強く惹かれました。よくぞ書いてくれた、と感謝します。この全体の文章を大切に胸に納めます。

2019年4月28日日曜日

生きている限り、いい思い出を沢山つくろう。それが幸せ

本会の修道者たちの集まりに参加した。4地区(長崎・東長崎・湯江・小長井)で宣教している。2か月に1度、20人ほどが集まる。顔を合わせるのが楽しみだ。共同で「教会の祈り」を唱えて、各人が順々に近況や感想、提案を述べる。
★私は「ホームに入って5年半になる。日記を書くのが楽しみ。4月24日で丁度、丸10年になった。取材したテレビが、本当は別の日に放送だったが、この日にテレビに出た。これもお恵みだったと感謝している」と伝えた。放送は既に終わっていたが、1人の司祭が『見たよ』。1人の修道士が『録画している』と声をかけてくれた。
★「日記を書いて10年」のテレビ放送には感謝している。目をかけてくれた岩本彩(あや)ディレクターさんには、その取り組み方に感心した。2年前から日記は知っていたそうだ。ステントの入れ替えで入院したときも、彩さんは訪ねてくれた。病院に許可も取って、カメラを持参し撮影した。
★この度の撮影に当たって配慮したのが、教会内での撮影だった。今は自由に教会内部の撮影は出来ない。2週間前に、教区事務所の許可を取る手続きになっている。この度の撮影では、湯江教会と聖母の騎士の教会の2か所でも行なわれた。その都度、教区事務所へ許可を申請した。カメラの方から考えると、色々な手続きを得て、撮影を仕上げていく。大変な仕事だと感じた。
★ディレクターの仕事は、先ず撮影する当人に理解と愛情を持つことだろう。人と人との『つながり』があって、良い感動的な作品が仕上がる。日記は、パソコンには2012年から残っているが、それ以前の3年間は、パソコンには無い。2009年、10年、11年の3年間は、紙に起こして綴じた日記がある。「それも見せてください」と彩さんから頼まれた。徹底して努力を尽くす熱意に敬服した。
★10年間、日記を綴ってきて注目され、報道されて、何やら報われた気持ちがして、喜びは大きかった。ホームに居ても、この5年間に、出会い、祝い、勲章、新聞、テレビ、出版など、貴重な足跡があった。「生きている限り、いい思い出を沢山つくろう。それが幸せ」と改めて思う。
★放送の中で「おざき・ぶし」で書いている、とあったが「心にひびく言葉、手アカのついていない言葉、魂をふるわせるほどの、一句がほしい」