白浜さんから戴いた「祝・米寿」のケーキです。大きなローソク、8本。少し小柄なローソクも、8本。フルーツが盛りだくさん。火をつけて、写真に撮ればよかったな。感謝して、喜んで、食べました。
★「米寿を迎えて、何を感じますか」
★人は、一人では、生きられない。生まれて、この方、沢山の人に助けられて、ここまで生きてきたのを先ず感じます。
★先日、訪ねてきたオーストラリア人が、質問の箇条を用意していて、最初に聞いたのが、「あなたは、日本人に生まれて、よかったと思いますか」「あなたは、カトリック信者として生まれて、よかったと思いますか」だった。いい国に生まれたと思っている。それは戦争、原爆という悲惨な状況もあった。日本人として、カトリック信者として、人生を貫いて、この世を生きてきたことを幸いだと思っている。
★次に感じるのは、ホームで生活している寂しさです。修道者は、修道院で共同生活をして、共に祈り、笑い、働きを共有するのが普通です。一人で、ホームの皆さんの中で生活するのは、やはり寂しさを感じます。でも、これも神さまの定めになった道だろうと、感謝して受け止めています。3月1日の米寿の祝いには、長崎から、10人ほどの修道者が祝ってくれるそうです。
長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2016年2月29日月曜日
2016年2月28日日曜日
もう八十八の米寿のお祝いのケーキが贈られた
日曜日。朝食のあと、しばらくして入浴する。いつもの通り、背中を流してくれる男性といっしょだった。湯船は、かなり広いので、身も心も、ゆっくりの気持ちになる。90歳とおもっていたら、92だという。きょうも、黙っていても、背中を流してくれる。
★自室に戻って、一息入れると、長崎から白浜さんがやって来た。「トマさん、おめでとう」。誕生日をお祝いするケーキだった。白浜さんは、長崎市内で、おいしいケーキ屋さんを知っている。これまで何年も、そのケーキ屋さんの誕生ケーキをわたしのために贈りつづけてきた。
★聖コルベ館の近況を教えてくれた。フェースブックに載せているそうだ。ファイルに収めた記事を広げて見せる。また「登明日記」もファイルに入れて、持ってきた。テレビの上に並べて納めているが、15冊になった。
★「写真を撮らせて・・・」。写したが、「白浜さん、目は眠っているよ」。ところで、抱えているのは、どんなケーキか、あけて、見るまでが、お楽しみ。
★自室に戻って、一息入れると、長崎から白浜さんがやって来た。「トマさん、おめでとう」。誕生日をお祝いするケーキだった。白浜さんは、長崎市内で、おいしいケーキ屋さんを知っている。これまで何年も、そのケーキ屋さんの誕生ケーキをわたしのために贈りつづけてきた。
★聖コルベ館の近況を教えてくれた。フェースブックに載せているそうだ。ファイルに収めた記事を広げて見せる。また「登明日記」もファイルに入れて、持ってきた。テレビの上に並べて納めているが、15冊になった。
★「写真を撮らせて・・・」。写したが、「白浜さん、目は眠っているよ」。ところで、抱えているのは、どんなケーキか、あけて、見るまでが、お楽しみ。
2016年2月27日土曜日
オーストラリア人の男性が、長崎・研究にやって来た
「わたしは、オーストラリア人です。歳は、43歳。大学の博士研究員をしています。お話をお伺いするため,来ました。よろしくお願いします」。1週間ほど前に、電話があった、その人が、ホームへやって来た。長崎は、冬といえども寒いのに、上着を脱げば、シャツ1枚。日本語は、上手で、会話にさしつかえは、ない。
★訪ねられた当方は、まず知りたいのは、なんで、どこから、小崎の名前を知っているのか。それが興味の始まりです。紹介してくれた女性の名前を言ったが、わたしの知らない人だった。
★16歳のとき、日本へ来て、それから何度も来ている。四国の公立の中学校で、英語の教師をした経験もある。オーストラリアの大学では、地歴のほか、日本語も教えている。
★博士論文のために、もう、3回、日本へ来た。テーマは、長崎です。興味のきっかけは、自分もキリスト信者で、長崎に、キリシタンの歴史があって、殉教、迫害に耐えて、更に戦争で原爆の受難をうけた。「原爆前と、あとのカトリックの記憶です」。彼が言った3つの言葉。「十字架」「マリア」「浦上天主堂」。それに就いて聞きたい。大きなテーマだよ。せっかく来た研究者だから、知っている限り、応対した。彼は、満足して、帰ったよ。
★訪ねられた当方は、まず知りたいのは、なんで、どこから、小崎の名前を知っているのか。それが興味の始まりです。紹介してくれた女性の名前を言ったが、わたしの知らない人だった。
★16歳のとき、日本へ来て、それから何度も来ている。四国の公立の中学校で、英語の教師をした経験もある。オーストラリアの大学では、地歴のほか、日本語も教えている。
★博士論文のために、もう、3回、日本へ来た。テーマは、長崎です。興味のきっかけは、自分もキリスト信者で、長崎に、キリシタンの歴史があって、殉教、迫害に耐えて、更に戦争で原爆の受難をうけた。「原爆前と、あとのカトリックの記憶です」。彼が言った3つの言葉。「十字架」「マリア」「浦上天主堂」。それに就いて聞きたい。大きなテーマだよ。せっかく来た研究者だから、知っている限り、応対した。彼は、満足して、帰ったよ。
2016年2月26日金曜日
35年前になるか。パパさまが長崎へ平和巡礼された日
2月26日は、忘れもしない、パパさま(ヨハネ・パウロ2世)が、長崎を平和巡礼された日です。(この写真は、そのときの場面ではないのですが、パパさまの写真が手元にないので載せました)
★1981年ですから、もう、35年前になります。ということは、40歳ぐらいの人は覚えていないことになる。それだけ時間が経ったんですね。
★昔のキリシタンたちは、7代経ったら、ローマからパパさまの舟がやって来る、そして信仰が自由になる、と希望をもって、信仰を子孫に伝えて守ってきました。それが、本物のパパさまが、実際に来られたので、信者たちの喜びは、大きかった。誰もが、胸を躍らせて、パパさまを歓迎し、喜びでお迎えしました。折りしも、その日は、思わぬ大雪にみまわれ、寒風吹きすさむ厳しい日でしたが、寒さも忘れて、賛美歌を歌い、ミサで祈りました。
★長崎の聖母の騎士に来られたときは、特に、ポーランド人の修道者たちは大きな喜びでした。10人ほど、コルベ神父の弟子たちが居ましたが、1人の修道士セルギウスさんは、「ポーランド人も、こんなに偉いヒトが居るんだなア」と、涙を流して喜びました。
★聖母の騎士の教会で、パパさまは、急に、大きなお声で、「パーテル、ノステル・・・(天に、まします)」をラテン語で歌われました。そして、福者コルベ神父の祭壇前に、ひざまずいて、祈られた。そのとき、教会は深い沈黙にひたされた。翌年、1982年、コルベ神父は聖人にあげられました。現在も、パパさまがお座りになった椅子と、ひざまずかれた祈祷台、2基が大切に保存されている。
★聖ヨハネ・パウロ2世の言葉です。「戦争は、人間の仕業です」。こころの底から平和をお望みになるパパさまでした。その思い出は、いつまでも消えない。
★1981年ですから、もう、35年前になります。ということは、40歳ぐらいの人は覚えていないことになる。それだけ時間が経ったんですね。
★昔のキリシタンたちは、7代経ったら、ローマからパパさまの舟がやって来る、そして信仰が自由になる、と希望をもって、信仰を子孫に伝えて守ってきました。それが、本物のパパさまが、実際に来られたので、信者たちの喜びは、大きかった。誰もが、胸を躍らせて、パパさまを歓迎し、喜びでお迎えしました。折りしも、その日は、思わぬ大雪にみまわれ、寒風吹きすさむ厳しい日でしたが、寒さも忘れて、賛美歌を歌い、ミサで祈りました。
★長崎の聖母の騎士に来られたときは、特に、ポーランド人の修道者たちは大きな喜びでした。10人ほど、コルベ神父の弟子たちが居ましたが、1人の修道士セルギウスさんは、「ポーランド人も、こんなに偉いヒトが居るんだなア」と、涙を流して喜びました。
★聖母の騎士の教会で、パパさまは、急に、大きなお声で、「パーテル、ノステル・・・(天に、まします)」をラテン語で歌われました。そして、福者コルベ神父の祭壇前に、ひざまずいて、祈られた。そのとき、教会は深い沈黙にひたされた。翌年、1982年、コルベ神父は聖人にあげられました。現在も、パパさまがお座りになった椅子と、ひざまずかれた祈祷台、2基が大切に保存されている。
★聖ヨハネ・パウロ2世の言葉です。「戦争は、人間の仕業です」。こころの底から平和をお望みになるパパさまでした。その思い出は、いつまでも消えない。
2016年2月25日木曜日
米寿のお祝いに、バックが届く。蔵彩布です。嬉しい
「生まれは、どこですか?」。そう聞かれるのが、ちょっと胸が苦しい。「東京です」「大阪です」「東北です」「九州です」。どれも、ひびきは、いいじゃありませんか。ふるさとに、誇りがもてる。
★わたしは、「北朝鮮です」。そう語るには、説明がいる。説明が長いーンだな。わたしの父親は、男、4人、兄弟です。長男、次男、三男、四男。父は、三男。生まれた長崎の田舎は貧しいから、長男だけが畑をもらって家を継いだ。あと、残りの男三人は、出稼ぎに出た。普通なら、名古屋や、関西あたりに行くのだが、三人は、ロシアへ渡った。余りにも寒いので、下ってきて、北朝鮮の海辺の町で、三人は商売を始めた。現地で、生まれたのが、わたしです。
★母から聞いた話によると、誕生日は、2月25日。本当なら、きょうが誕生日にあたる。誕生の知らせは、長崎の長男の田舎の役場に届けられた。なぜか、3月1日になった。
★本当の誕生日にふさわしく、浜松のひろみさんから、プレゼントが届いた。それが、このバックです。「蔵彩布」とある。説明に、「お酒を醸造するときに使われる酒フクロをイメージして染められた染布です」。ひろみさんのコメントも入っていた。「通院、買い物のときにお使いください。デジカメ、携帯が、外ポケットに入るようです」。ひろみさん、贈り物、ありがとう。きょう、もらったのが嬉しかった。喜んで使います。
★わたしは、「北朝鮮です」。そう語るには、説明がいる。説明が長いーンだな。わたしの父親は、男、4人、兄弟です。長男、次男、三男、四男。父は、三男。生まれた長崎の田舎は貧しいから、長男だけが畑をもらって家を継いだ。あと、残りの男三人は、出稼ぎに出た。普通なら、名古屋や、関西あたりに行くのだが、三人は、ロシアへ渡った。余りにも寒いので、下ってきて、北朝鮮の海辺の町で、三人は商売を始めた。現地で、生まれたのが、わたしです。
★母から聞いた話によると、誕生日は、2月25日。本当なら、きょうが誕生日にあたる。誕生の知らせは、長崎の長男の田舎の役場に届けられた。なぜか、3月1日になった。
★本当の誕生日にふさわしく、浜松のひろみさんから、プレゼントが届いた。それが、このバックです。「蔵彩布」とある。説明に、「お酒を醸造するときに使われる酒フクロをイメージして染められた染布です」。ひろみさんのコメントも入っていた。「通院、買い物のときにお使いください。デジカメ、携帯が、外ポケットに入るようです」。ひろみさん、贈り物、ありがとう。きょう、もらったのが嬉しかった。喜んで使います。
2016年2月24日水曜日
新聞に、「自分の寿命を知りたい?」。賛否は、半々
あと、1週間で、誕生日がくる。
★去年の誕生日には、ホームで職員さんから色紙を戴いた。それが、この色紙です。大きく『心』と、見事な字で書いてある。自室の壁に、大切に下げて飾っている。
★書いてくれた職員さんは、ほぼ、誰か、検討はついている。それで、この間、出会いがしらに、頼んでおいた。「誕生日には、ね。また、色紙ば、くれんね」。「ウ、ハ、ハ、ハ・・・・」と、明るく笑いながら反応したから、やっぱり、この女性だ。職員さんは、問うた。「なんという字が、いいの?」「そうね、88、かな」。こんな会話をしておいたから、楽しみだな。期待しています。
★ところで、新聞の記事に、「自分の寿命を、知りたい?」と、こんなタイトルで囲み記事があり、賛否の統計が出ていた。それによると、「はい」が、48%で、「いいえ」が、52%だった。ハイの理由は、知るほうが人生を有意義にできる。いいえの理由も、同じく、知らないほうが有意義にできる。それと、物事には、知らない方がよい場合もある、でした。
★わたしは知りたいと思ったね。これから「何年、生きるか」。ホームの老人たちは、そんなに長く生きたくないと、おっしゃる。でもお迎えが来ないのだよ、と笑っている。長く生きると、それだけ病気への不安がつづくし、経験もするだろう。今まで、沢山、やり尽した。これから何年、痛み、苦しむのか、それを考えると、残された寿命を知りたいです。
★まだ、つぐないも、残っているし、ね。
★去年の誕生日には、ホームで職員さんから色紙を戴いた。それが、この色紙です。大きく『心』と、見事な字で書いてある。自室の壁に、大切に下げて飾っている。
★書いてくれた職員さんは、ほぼ、誰か、検討はついている。それで、この間、出会いがしらに、頼んでおいた。「誕生日には、ね。また、色紙ば、くれんね」。「ウ、ハ、ハ、ハ・・・・」と、明るく笑いながら反応したから、やっぱり、この女性だ。職員さんは、問うた。「なんという字が、いいの?」「そうね、88、かな」。こんな会話をしておいたから、楽しみだな。期待しています。
★ところで、新聞の記事に、「自分の寿命を、知りたい?」と、こんなタイトルで囲み記事があり、賛否の統計が出ていた。それによると、「はい」が、48%で、「いいえ」が、52%だった。ハイの理由は、知るほうが人生を有意義にできる。いいえの理由も、同じく、知らないほうが有意義にできる。それと、物事には、知らない方がよい場合もある、でした。
★わたしは知りたいと思ったね。これから「何年、生きるか」。ホームの老人たちは、そんなに長く生きたくないと、おっしゃる。でもお迎えが来ないのだよ、と笑っている。長く生きると、それだけ病気への不安がつづくし、経験もするだろう。今まで、沢山、やり尽した。これから何年、痛み、苦しむのか、それを考えると、残された寿命を知りたいです。
★まだ、つぐないも、残っているし、ね。
2016年2月23日火曜日
黒いカゲから、オーラは出るか。いや、いや、ふつう
聖コルベ館に居たとき、これに似た写真を撮ったことがあったが、また偶然にも撮れたので、載せました。
★修道士といっても、ホームに入れば、普通の入居者です。普通の男性です。入居して、長い間、修道服は着けていなかった。黒色のシャツを着て、ミサにも祈っていた。クリスマス・イブから、毎朝のミサには、修道服を着て、祈ることにしています。
★まわりの人は、「田川さん」と呼ぶが、「おニイちゃん」とか、「オンちゃん」とか、声をかけられることもある。「修道士さん」もあった。「トマさん」もある。黒いカゲが伸びるごとく、何が、何やら、まよいます。「ああ、あのヒトは、ちょっと、違うな」。そういうオーラが有りや、いなや。人間は見た感じは変わりません。人生は、まさか、まさかの、連続です。
★大阪の孝子さんから、「さびしかろう」と、宅急便が届いた。お菓子ばかりの小包です。フクロ入りや、箱入りの食べ物ばかり、15個あまり入っていた。「こんなに食べませんよ」。電話をかけた。低い、それでもゲンキな声が聞こえる。100歳になる。まだ、まだ歩けます。教会にも、毎日曜日、出かけています。手編みをしたり、手仕事をしたり、孝子さんのことは知っている。もう10何年になるか。ポーランド巡礼で、いっしょに同行した。それからの、つながりです。長生きのヒケツも、そんなマメな行動にあるのだろう。はずかしくて、自分の歳は言えないよ。
★修道士といっても、ホームに入れば、普通の入居者です。普通の男性です。入居して、長い間、修道服は着けていなかった。黒色のシャツを着て、ミサにも祈っていた。クリスマス・イブから、毎朝のミサには、修道服を着て、祈ることにしています。
★まわりの人は、「田川さん」と呼ぶが、「おニイちゃん」とか、「オンちゃん」とか、声をかけられることもある。「修道士さん」もあった。「トマさん」もある。黒いカゲが伸びるごとく、何が、何やら、まよいます。「ああ、あのヒトは、ちょっと、違うな」。そういうオーラが有りや、いなや。人間は見た感じは変わりません。人生は、まさか、まさかの、連続です。
★大阪の孝子さんから、「さびしかろう」と、宅急便が届いた。お菓子ばかりの小包です。フクロ入りや、箱入りの食べ物ばかり、15個あまり入っていた。「こんなに食べませんよ」。電話をかけた。低い、それでもゲンキな声が聞こえる。100歳になる。まだ、まだ歩けます。教会にも、毎日曜日、出かけています。手編みをしたり、手仕事をしたり、孝子さんのことは知っている。もう10何年になるか。ポーランド巡礼で、いっしょに同行した。それからの、つながりです。長生きのヒケツも、そんなマメな行動にあるのだろう。はずかしくて、自分の歳は言えないよ。
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