2015年8月31日月曜日

これが絵てがみで描いたカキのスケッチです

ヘタか、じょうずか、描くのは楽しい。残暑、お見舞いを皆さまに届けます。
★父と母は、戦争の前に、出稼ぎで、長崎を出て、海を渡って、北朝鮮の奥地の町で、商売をしていた。人口、5万人の人に、日本人も多い。だが、日本人のカトリック信者は、わが家1軒のみであった。北朝鮮で生まれ、育った自分が、なぜ長崎の聖母の騎士のルルドに導かれ、修道士となり、50周年の金祝を祝うまでになったのか。人生の移り変わりは、ふしぎでしかない。
★昨夜、仕事が終わって、高原修道士が自室に来た。狭い部屋だから、2人は横に並んで長々と語り合った。「世間的に言えば、病気や、からだのキズ(手術の痕跡)をかかえて、とても生きる、ここまで生きれるからだでない。ここまで生きているのが、ふしぎ」と彼は言う。「そうか、な」の返事。「善とか、悪とか、あるけれど、それを超えるものが導いてくれた。ここまで導いてくれた」と彼。「そうだよ、な」

2015年8月30日日曜日

絵てがみを描きましょう。何がいいかな。カキ


絵てがみの先生が来られるという。絵には興味がある。何を描きましょうか。悩むね。廊下で話をしていると、庭に柿がなっているよ、と教えられた。ああ、柿なら題材になるな。描いているところです。朝夕は涼しくなった。

2015年8月29日土曜日

登明の日記の読者に、こういう人もいる。驚き

昨日、来た、美樹さん、哲(さとし)さんとの玄関でのお別れです。よくぞ訪ねて来てくれました。
★「トマさんのことば」の小さな本よりの一部。「母につながり、神につながる。愛とは、つながりなんだよ」(5ページ)。
「人生、ひとことで表現するなら『孤独』でしょう。限りなく孤独。その孤独を救うものは、出会いによる愛です。愛を知った者は、幸せになる」(6ページ)。
「生かされている喜び。悪に負けない勇気。お礼を求めない愛。目標はわかってはいるが、それでも人間は、迷い悩むのです」(12ページ)
★この小さな本を作るために、2人は言った。「『登明の日記』を以前の分から、全部、読みました。そして抜き書きして、その中から選びました」「その抜書きするのは、大変だったでしょう。それを見せてくれませんか」「コピーして送りましょうか」。その熱意に、感動というか、びっくりと言うか、こういう隠れた日記の読者がいるのかと、慰めになった。
★「トマさんのことば」の本の全体を皆さんにも紹介したいが、どのようにすればいいのか、方法がわかりません。残念です。
★美樹さんの誕生日、おめでとう。歳は聞きましたが、書きません。お2人の幸せを祈ります。

2015年8月28日金曜日

訪ねてきた、2人。楽しい出会いが、そこにあった

出会いとは、ふしぎなご縁だと思う。今年の1月だった。午後、ロザリオへ行くとき、教会の庭で、パッタリ出会った2人がいた。「小崎さんですか?ブログを読んでいます。会えて嬉しい」。握手をしただけで別れた。誰だったんだろう。
★4月になった。女性から、手紙が来たので、返事を書いた。すると、同じ4月の末に、手紙と、「トマさんのことば」という、34ページの小さな本、1冊が同封されていた。「感謝の気持ちを込めて」とある。その本を開いて、リッパに出来ているので、本当に嬉しくなり、我ながら感動さえした。返事を出したら、3度目の手紙が、8月になって、先日、届いた。「お伺いして、いいですか?」「待っているよ」。
★そして今日、その2人がやってきた。1月に会ったときは、すれ違い。初めて、ゆっくりと出会って、顔を見て、会話して喜びにあふれた。美樹さん、哲(さとし)さんという。2人とも非常に喜んでいた。もちろん私も喜び、「トマさんのことば」についても詳しく聞いた。美樹さんは「長崎のコルベ神父」を、哲さんは「ゼノさんの写真集」を持参して、サインしてほしいと頼んだ。コルベ神父の方は、マリアさまが好きだったから「けがれなき聖母マリア、愛と平和」と筆で書いた。さあ、ゼノさんの方は、どうする?少し考えて、「ゼノさん、天国から、働いてください」と記した。
★美樹さんが言った。「きょうは、わたしの誕生日なんです」

2015年8月27日木曜日

コンラードさんへの問い。ありがとう、ジンクーエン

教会の祭壇に飾られた生け花です。 ★昨日は、明子さんと「ありがとう」、「有り難い」の違いを話し合った。ありがとうは、言葉で言う。ありがたいは、気持ちが違う。感謝が入っている。ありがとう以上に、もっと、感謝している。何か、もらったら、すぐに、ありがとうと言うでしょう。ありがとうは、生まれた時から教える。有り難いは、有り難いと思っているのよ。有り難いは、ものすごく、感謝している。有り難いは自分で悟る。有り難いには、感謝。ありがたいが入っていないといけない。神に感謝。人にも感謝。ありがとうは、返す。有り難いは自分が思う。 ★その夜、明子さんから電話があった。「有り難いの意味は、存在がマレである。なかなか有りそうもない、めずらしいことをしてくれるのが、わたしは有り難い。普通に有ることが難しいこと、めったにないことです。これは辞書の広辞苑に書いてあった。ありがとう、有り難いは別。 ★なぜ、私がこだわるか。ポーランド語に「ありがとう」の「ジンクーエン」がある。ポーランド語には、その区別があるのだろうか。コルベ神父から命を助けられた男性は、言った。コルベ神父に命をもらったが、「ありがとう」と言えなかった。ナチの所長が、絶対、しゃべるな、と禁じていたので、お礼を言えなかった。それが一番残念、と、コンラードさんといっしょに、あの男性のところへ行ったとき、聞いたでしょう。ジンクーエンには、ありがとう、有り難いのちがいがあるのですか?

2015年8月26日水曜日

トンボの行方は?精密検査に出かける。慌しい日

また、トンボが廊下に落ちていた。そーっと、羽をつかんで自室で写真に撮った。足も羽も動いている。窓をあけて、竹の「すだれ」へ、つかまえさせた。台風が来るからと、すだれをかたづけた。台風が去って、明るい空になった。「すだれ」は床に置かれたままである。あのトンボはどうなったであろうか。命あるものの行く末は気になる。
★午前中は整骨院へ出かけた。丹念に両足をマッサージしてもらう。午後から、昼食抜きで、諫早の総合病院の泌尿器科へ予約の診察に行った。送り迎えは、明子さんが車を運転してくれた。ここにも「いのち」に、浮き沈みする者がいる。胸から膀胱までの「CT」を撮った。血液検査に、尿の検査。腎臓には大きな石がみえる。検査の数値は変わりない。「ステントは外しても、いいのでないか」とお医者さんは言った。「10月になって、決めましょう」。あわただしい1日だった。
★車の中や、待ち時間のときの、明子さんとの会話。それは「ありがとう」と、「有り難い」は違うという興味ある話がつづいた。

2015年8月25日火曜日

長崎へ診察へ。コンラードさんのコメント。見識の高さ

昨夜は、台風が、熊本から北九州へ直撃しながら抜けて行った。今朝は、長崎へ診察に行く予定だった。雨は降っているが、風はおさまっている。「高原さん、どうする?」「行きましょう」。雨のなか、高原さんの運転で、長崎のヨゼフ・クリニックへ診察へ出かけた。「歩くと、胸がつまるんです」。心電図をとり、胸のレントゲンをとる。先生はレントゲンに写った心臓の大きさを測っておられた。「大丈夫でしょう」。昼食までには帰った。ホームが我が家になって、無駄な寄り道は、したくない。帰ってくると、安らぎを覚える。
★午後、パソコンを開くと、昨日の日記に対して、早くもポーランドのコンラードさんからコメントが入っていた。外国人なのに、その文章のしっかりしている構成に感心した。コンラードさんの日本語も素晴らしい語学力になっている。長崎を如何に見つめるか。全般的にわたって、緻密に、配慮した文章におどろかされた。長崎を、このように見ることも出来る。近場の人間の見識の無さに、恥ずかしくなった。長崎を、どう説明するか。外国人はどこに興味をもつか。簡単に考えていたのが、情けない。
★コルベ神父の修道院は外せないだろう。ポーランド人にとって、コルベ神父は愛の強烈な存在である。憎しみも、争いもない平和を告げている。誰にでも。(写真はかつてのコンラードさん・日本の愛好家)