長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2015年8月27日木曜日
コンラードさんへの問い。ありがとう、ジンクーエン
教会の祭壇に飾られた生け花です。
★昨日は、明子さんと「ありがとう」、「有り難い」の違いを話し合った。ありがとうは、言葉で言う。ありがたいは、気持ちが違う。感謝が入っている。ありがとう以上に、もっと、感謝している。何か、もらったら、すぐに、ありがとうと言うでしょう。ありがとうは、生まれた時から教える。有り難いは、有り難いと思っているのよ。有り難いは、ものすごく、感謝している。有り難いは自分で悟る。有り難いには、感謝。ありがたいが入っていないといけない。神に感謝。人にも感謝。ありがとうは、返す。有り難いは自分が思う。
★その夜、明子さんから電話があった。「有り難いの意味は、存在がマレである。なかなか有りそうもない、めずらしいことをしてくれるのが、わたしは有り難い。普通に有ることが難しいこと、めったにないことです。これは辞書の広辞苑に書いてあった。ありがとう、有り難いは別。
★なぜ、私がこだわるか。ポーランド語に「ありがとう」の「ジンクーエン」がある。ポーランド語には、その区別があるのだろうか。コルベ神父から命を助けられた男性は、言った。コルベ神父に命をもらったが、「ありがとう」と言えなかった。ナチの所長が、絶対、しゃべるな、と禁じていたので、お礼を言えなかった。それが一番残念、と、コンラードさんといっしょに、あの男性のところへ行ったとき、聞いたでしょう。ジンクーエンには、ありがとう、有り難いのちがいがあるのですか?
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