2020年9月15日火曜日

ブドウの贈り物。悲しみの聖母の日。我が母の人生、幸せだったか

広島から、「ぶどう」の贈り物が、届いた。
3種類、あるんですね。
「ピオーネ」「クイーンニーナ」「シャインマスカット」
ぶどうは、好きだから、喜んだ。
家族が、果樹園を経営しておられる。
訪問したことも、あった。
忘れずに、贈って下さるのは、有り難い。感謝。
★今日は、教会では、「悲しみの聖母」の記念日を祈った。読書に、「聖母マリアには、7つの悲しみが、ある」と書いてあり、「そう、だった」と思い出した。「聖母の7つの悲しみ」のコンタツの信心がある。1連に、7つの「アベ・マリア」。唱えた時期もあった。聖母は、神の御母でありながら、普通の人、以上の沢山の苦しみを、「神のみ旨のままに」受け入れて、捧げて生きられた。
★教会を出た時、私の母は、どんな苦しみを受けて、生涯を過ごしたのだろう、と思った。
写真の裏に、鉛筆で、昭和14年1月1日、40歳、と書いてある。この写真の6年後に亡くなる。
夫を、早く亡くした。
夫の亡き後、商売を切り盛りした。
更に、1人息子の私は、病気・結核に罹る。腰や背骨、肋骨カリエスの私を見守り、苦労が多かっただろう。
子供のためには、苦労を惜しまなかった。生活費、治療費を、どう工面したか。母の祈る姿が、思い浮かぶ。
★私は、母に孝行を尽くしたであろうか。
聖母の騎士に入る前、16歳、17歳の時、働く工員になり、月給は80円、残業すれば100円になった。家賃は10円。充分に生活は出来た。母は家に居て、着物の縫物などで手間賃を稼いでいた。手の器用な母だった。
「幸せ、だったよ、あの頃は」。テレビにも出たが、原爆で、人生は変わった。やっぱり原爆抜きには、語れない。ただ、ただ、行方不明の母が、可哀そうだ。悲しいよ。
★「人間という存在を、理解した上で、この世を去って行きたいと、思います。それだけの時間、92歳という年月を、与えられたことを感謝します」

1 件のコメント:

  1. がぶらってぃ2020年9月15日 20:59

    「人間という存在を理解する」という質の高い
    課題を捉えられ、離されずに進まれるトマさん。

    気力に悖るところはない、と
    しっかり受け止めました。

    マリアさまの道を生きておられたワサお母様の
    一人子として生まれたトマさんは、強く輝いて
    おられます。

    広島も、ぶどうの季節を迎えているのですね。
    最近、シャインマスカットはとても人気で、
    産地が広がっていると仲卸に聞きました。

    ぶどうと言えば、トマさんが描かれた
    みずみずしいぶどうの絵を思います。
    「心を耕す」喜びに満ち、青々と
    伸びやかな絵に、心は水を打ったように
    鎮められ、清々しい気分になりました。

    「コンタツ」を久しぶりに聞きました。
    ロザリオをコンタツと呼ぶ信者も
    減ってきたように思います。
    長崎は、日本のカトリックの希望です。

    今日も見つめるべき課題を知らされました。
    足りないがぶらってぃを、まずは自分で
    赦せるように祈ります。ジンクーエン。

    返信削除