2020年9月23日水曜日

キリスト聖痕のピオ神父。出会ったミロハナ神父の話。祈りと謙遜な聖人

今日は、教会では、ミサの始めに、「聖ピオ司祭」の記念日です、と伝えた。ピオ神父といえば、有名な、キリストの聖痕を身に受けた司祭だった。50年ほど前に逝かれた。現代の聖人といわれる。イタリア南部の、カプチノ・フランシスコ会の修道院で生活した。人の心の奥を見通すチカラがあり、多くの巡礼者、告解者が訪れた。
★『こころの時代』テレビにも出ていたが、トマが結核・病気のとき、励まし、チカラづけてくれたミロハナ神父さん。
そのミロハナ神父さんから聞いた話です。
★町には、ピオ神父の影響で、大きな病院や、ホテルが出来ていた。ミロハナ神父は告解したいと申し込んだが、切符が必要で、その切符は1週間後であった。「お会いしたい」「聖痕も見たい」。その夜は、修道院に泊めてもらった。
★翌日、部屋に居ると、ピオ神父と、他の2人の神父、2人の医師が入って来た。「診察がありますから」と部屋を出た。定期的に、教会側から、医師による診察が行なわれる。「今日の医師は、とても偉い人で、無神論者です」と神父。しかし診察後、無神論者の医師が、うやうやしく聖痕にキスするのを見た。
★昼食は、修道院で頂いた。司祭が15人ほど、修道士が5人ほど居た。ピオ神父は遅れて入り、床に跪いて、両手を広げて祈った。短い食事で、ピオ神父が立った。司祭、修道士が近寄り、手に接吻した。ミロハナ神父も接吻した。しかし、手袋をはめていた。ピオ神父は、日に1食しかしない。
★信徒が「聖痕」「せいこん」と騒ぎ、自分を見たさに集まってくる。大変、苦しく感じていた。ここには、そんな気持ちは、みじんもない。隠したい。静かでありたい。キリストのご苦難を偲び、人間の罪を償いたい。そして自分は、無以外の、何者でもない。
★ミロハナ神父は、ピオ神父のミサの奉仕を行なった。ミサ中、ピオ神父は、3回、脱魂した。身体の動きが停止し、魂が、神と結ばれる。ミロハナ神父は、天上の喜びに引き込まれるように我を忘れた。ミサ後、聖痕に、じかに、接吻した。大きな喜び、聖なる感動であった。何とも言えぬ香りが、充満していた。ミロハナ神父は、願いを書いた紙片を、ピオ神父に渡して、修道院を去った。
★聖ピオ司祭。霊的指導者として信徒の告白を聴き、病者や貧しい人々の世話に従事して、祈りと謙遜のうちに献身的に働いた。9月23日に死去。81歳。
★トマにとって、なぜか、忘れない聖人です。ミロハナ神父さんのお陰かな。

1 件のコメント:

  1. がぶらってぃ2020年9月23日 16:24

    パードレ・ピオ。
    奇跡の人。長い長い間、魂と肉体に多くの苦しみを
    引き受けて、人々を救い続けたパードレ。
    ミロハナ神父さんとの繋がりからも、
    トマさんに近しくあられるのですね。

    大事なエピソードと思い、祈りを共有くださり、
    ありがとうございます。

    がぶらってぃは確か8歳か9歳の頃に、
    パードレ・ピオが「苦しみを楽にする家」病院を
    造られたと知り、「聖なる普遍の教会」の偉容を
    一つ見た思いを持ちました。

    苦しみを受けて神の言葉と行いに突き抜かれ、
    癒やしの人生を歩まれたピオ神父に出会える場が、
    長く続く病院として存在し、カトリック信徒に
    限らず、痛みを持った多くの人々が神に触れられる
    場として助けになることを感じ取りました。

    そんなことを教会の土曜学校の記録に書き、
    主任司祭の部屋に呼ばれたことを思い出しました。
    近くに、カトリック系の病院があったために
    想起したのかもしれません。小学校2年から
    始めた毎日の階段清掃の仕事(当時居りました
    官舎の階段の掃き掃除でした)を
    “私の行いは、かみさまのしごと”と、
    振り返った縁でもあったように思います。

    ピオ神父の祭服は刺繍がかけてあって、
    とても美しいですね。重かったでしょうが、
    今となっては、あれこれ簡略化され、
    軽くなってきているカトリック性を
    対比して見る思いです。

    今日も、学びと癒やしの記録を
    ありがとうございます。ひとつ成長し、
    ひとつ明るくなりました。

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