2020年7月16日木曜日

日々、気にしながら生きる。眠れるか。食べただけ、出るか、悩む

いま、一番、うれしいこと。
夜、よく眠れて、大のトイレがあること。まだ、押し車でも、歩ける事こと。食事は、毎食、完食しています。
食べただけは、出したい。気をつかいます。これまで1日も、大のトイレがない日は、ない。毎日、あります。だが、老人になると、腸の運動も弱るのかね。自然に出るものなのに、出ないと、落ち着かない。そんな歳になりました。
老人って、ヘンな事に気を使うんですね。今日は、朝から正午まで、2回ありました。だから楽な気持ちで、日記も書けます。入浴も出きます。
「小崎さんですか?ああ、会えて良かった」と、訪ねて来て、声をかけてくれるのが、一番うれしいです。「小崎さんだったら、この事は、知っているでしょう?」。顔を知らない人から、聞かれる。老い人も、ニコ、ニコして、応対しますよ。
「本を読みました。マンガも読みました」なんて言ってくれる人には、もっと嬉しい。この歳になって、わたしの記憶が役に立つのは、ありがたいです。まだ、まだ、生きている価値は、ありますと思います。
自分の育った環境から、人間は、もともと「孤独」の存在だと思うとります。いつも「孤独」を感じていました。ホームに入って、なお更です。だが幸いに、沢山の人に出会って、豊かな日々が過ごすことが出来た。良い隣人に「出会う」のが、一番ですね。出会いがあれば、明るく生きていける。その「出会い」がホンモノか、どうか。見分けるのが「愛」でしょう。親の愛か、孫の愛か、全然、知らない。隣人の愛でも。善良な「愛」に出会えば幸せですね。愛の思い出だけでも、人は充分に生きていける。
私だけの人生だった。神さま、ありがとう。なんと表現したら、いいか。今夜の眠りと、明日の大のトイレは、次の日に又、気にかけよう。

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