九州・福岡から写真家が来たのは、去年の5月だった。「被爆者の写真を撮らせて下さい」。普通、顔写真でも胸から上あたりを撮るじゃないですか。彼は言う。「顔だけを撮らせて下さい」と、2台の写真機を使用。1台は6✕6のフィルムで、巻いて写す以前の形式の写真機だった。懐かしい。私も以前、マミヤ・プレスで、カラー写真を撮っていた。
★もちろん写真家の訪問は「日記」に載せている。いま読むと、彼は、こんな内容を告げた。「ある時、自分は気がついた。被爆者には、目に『チカラ』がある。顔には苦しみ、悲しみ、痛みが浸み込んでいる。自分は、それを写したい。写真の意義は記録もあるが、表現もある。自分が理念を持って、ものを撮ると、思いが相手に伝わる。その人の歴史や、苦悩が、目の中に埋まっている。それが表現となって、自分に返ってくる。そういうものを撮りたい」
★あれから1年が経過した。彼の作品「写真集=被爆75年・閃光の記憶」(26cm✕22cm)(135ページ)が贈られてきた。長崎文献社発行。税別、3.300円。重みのある豪華な写真集で、長崎の被爆者53名の顔写真が載っている。私の写真もあった。
★「これが、わたし、か」。普通はデジカメで、毎度、写真を撮っているが、この本に収められた私の顔は違う。「これがホンモノだ」。自分と向き合ったよ。真に迫力のある顔だった。(その顔は、著作権もあるだろうから、ここには載せない)
★写真集は、1人分が見開きになっており、右側は写真、左に、生年と被爆時年齢、被爆地、爆心地からの距離、被爆の瞬間、その後の記憶が記されている。全文の英語訳もある。1人、1人の写真をめくると、誰もが真剣に、真一文字に口をしめ、表情は硬い。
★被爆当時の年令を見ると、53人のうち、20歳が最高で1人の女性、19歳が1人の女性、17歳が、1人の男性、1人の女性、そして私が入る。だから17歳以上は、合わせて5人となる。いかに被爆者が高齢化しているかが分かる。
★最初のページに、「写真集に寄せて」と題して、私も知っている高橋眞司先生(哲学者)が記事を書いておられる。その文の中に、「九死に一生を得て、よくぞ生き抜いて下さったという思いが強い」とあった。
★みんな仲間だ。苦労の人生だったろう。だが皆、生き抜いた。本の重さは苦労の重さ。遠い過去が、私の心に、そっと、置かれた気持ちがした。
これも赦しへの一つの石段でしょうか。
返信削除「遠い過去が、私の心に、そっと置かれた気持ちがした」
と表されたところに、ずしんと響きがありました。
全人的赦しに向かって進むトマさんの強さと、
もたらされた写真集の意味を受け止めます。
高橋眞司先生の哲学も、より深められ、祈りに
繋がったように願います。
先に書かれた「マイチモンジに進む」行いを、正しく
表現された松村 明さんの写真は、やはり力強い
だろうと想像します。
繋がりと、見えないところで助け、導く力の
圧倒的な真実に勇気づけられます。
神のはからいの中にあって、幸いに努めて参ります。