何の予告も無い訪問だった。突然、県内の北部の町から、若い夫妻が面会に来た。男性の手に自著の「長崎のコルベ神父」があった。「実は」と、この本の中に出ている中田藤太郎神父(1910-1999)に就いて教えて欲しい、との願いだった。中田藤太郎神父のお姉さんが嫁いで、姓が変わり、その子供の、その孫の、そのひ孫に当たるのが自分だと、男性は言う。メモを取りながら熱心に聞いていた。
★やはり歳の功だね。中田藤太郎神父さま、知っているよ。話した事もある。やはり歴史を背負って生きている老人は物知りだよ。中田藤太郎神父さまの話しは、貴重だ。彼は、大浦神学校で、2年間、コルベ神父から哲学を学んでいる。誇り高き貴重な体験を持っている。コルベ神父の哲学授業には苦労したそうだ。当時は会話、講義は総てラテン語だった。教科書はローマ・グレゴリアン大学の著名な教授が著した本で、中田神学生が頭をひねっていると、コルベ神父は優しく「ディカス、ディカス(言ってごらん)」と質問を誘い出し、少しでも答えると「ベーネ、ベーネ(よろしい)」を連発した。その思い出は中田藤太郎神父から消えることはない。終戦直後は、原爆で崩壊した浦上天主堂の主任司祭を勤めた。その後、フランシスコ会に入会する。コルベ神父の列聖を喜び、神学生時代を誇りに思い、晩年は、長崎の聖母の騎士修道院で2年間を過ごしている。
★崩壊した煉瓦の傍にスータン姿で立っている貴重な写真があるが、同じ原爆を受けた者として、その姿が心に深く刻み込まれている。
★上五島出身の中田家は、同じ上五島の初田家とも繋がりがあり、初田家は上五島の竹内家とも繋がる。中田家には有名な中田藤吉神父(田平天主堂)、初田家には初田徳一神父(本会の司祭でホーム聖フランシスコの園長)、竹内家には竹内昭彦神父(本会の管区長)などの司祭を輩出している。信仰とは、みな「つながり」である。
★ホームに生活している女性が、中田家の詳しい系図を持っている。その女性の部屋に案内して、2枚の系図を見せてもらった。1枚は「初めて見た」と非常に喜び、デジカメで収録した。「長崎のコルベ神父」にサインを求めて、満足してホームを去った。
★ホームに居ても、こうして課題を抱えて訪ねてくれる人がいるのは有り難い。まだ、まだ老人は捨てたモンじゃ、ないね。今日は入江さんと午前中、一緒に入浴した。背中は自分で洗った。
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