北朝鮮での母と、私の写真です。若い母親です。昨日、日記に、北朝鮮で暮らした家の写真を載せたが、戦後、1度は北朝鮮へ帰ってみたかった。恐らく住んでいた、あの家はないでしょう。でも、山や、川や、鉄道は変わっていない。もう1度、見たかった。父親の墓もある。実を言えば、1度だけチャンスがあった。新潟から船が出て、私が住んでいた港町まで行く団体ツアーです。船中に宿泊して、バスで廻る旅でした。それでも、山や、川を見たかった。その機会を逃したのが残念だった。
★母が言った言葉で、名言は私の心に残ってはいない。「わーし(わたし)がテッポ(鉄砲)で、わーし(鷲)を撃ったら、わーし(鷲)も、たまがる(驚く)、わーし(私)も、たまがる」。たまがる、とは長崎弁で、おどろく、ビックリすること。
★もう1つが、「人(他人)の痛みは、3年でも、こらえる(辛抱できる)」。他人からの慰めや、励ましに期待するな、の教訓かも知れない。この、あどけない少年は、生涯、沢山の病気で苦しむことになる。
★母の50回忌を期して、原爆の語り部になり、13年間、原爆資料館で、小・中・高生たちに、原爆体験を聞かせた。原爆当日の朝、母との別れ、「行って、くる、けんね」から、語りは始まった。最後は、平和推進協会が掲げた「平和の原点は、人の痛みを分かること」と締めくくっていた。語り部も、病気になって引退したが、母の言葉は本音にある。
★鷲と鉄砲は、別にして、やっぱり、本当に人の痛みを理解して、心底、分かるのは、なかなか難しいと思う。母は、45歳で、原爆に吹き飛ばされ、行方不明になった。
★(口に出して、言うたら、アカン。心の中で思うんや。人間って、孤独なんや。他人はお前のこと、誰も気にしてヘン。自分の人生や、自分で耐えるしかない)
★母の声が、胸の奥から聞こえる。「祈るんよ、わかっとるね」
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