★「ある日こびとに母はいう」から始まる。お前は、こまい(小さい)から農業するのはムリだろう。町に行けば職もある。町の建築技師も、店の主人も、「こますぎる」と断る。そこで、こびとは「阿呆まる」に乗って、航海に出るが、大嵐に出会って、海の藻屑となる。天の門でもペトロから、天にいるには「ちと、こますぎる」
★そこへ「ゼウスは、こびとを、いだきあげ、ほほえみながら、のたもうよ。天にいるには、このように、心の愛らしき、幼子ばかりぞ、幼子ぞ、ほんに」で終わっている。
★「あれ、これは、どこかで見たことがある詩だ」と、瞬間に頭をよぎった。許さんが帰ってから、タンスの引き出しから探してみると、やはり既に「こびとの歌」を送ってくれた人がいる。「トマさんのことば」を編集した塩沢美樹さんで、上五島から、昨年、送ってくれていた。封筒に、歌の説明のコピー数枚と、歌のCDがあった。
★本は、松田美緒さんの「クレオール・ニッポン・うたの記憶を旅する」(2014発行アルテスパブリシング)で、「こびとの歌」は、外海・黒崎の易さんが、古御堂(ふる・みどう)教わったと記してある。子供たちによって音楽劇として演じられている。私は黒崎出身で、その古御堂をよく知っているから懐かしかった。
★電話で、塩沢美樹さんと話した。美樹さんは、松田美緒さんの歌を聞きに行った。私もCDから「こびとの歌」を聞いて、深い感動を覚えた。「こうして、昔のキリスト信者は、素朴で、単純な詩を口ずさみながら、教えの核心を伝えて行ったのだな。まさに、これこそキリストの教えではないか」。古御堂を懐かしく思った。
★「こびと」が「ゼウス(神さま)から受け入れられたのは、こびとが、どんなに阿呆と言われても、さげずまれても、皆んなを「許す心」があったからだと、私は思っている。
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