2017年6月13日火曜日

パドアの聖アントニオの祝日。思い出。理髪も整う

イタリアの中世期の聖人、パドアの聖アントニオの祝日でした。教会の祈りと、ミサでお祝いをしました。
★戦争が終わって間もなくの頃、小神学生(高校生)だったとき、舎監のロムアルド修道士が、聖アントニオの映画を見せた。山の修道院でお祝いがあって、お説教をする司祭が遅れて来ない。院長が、アントニオに代わりに説教をするように命じた。その説教を聞いた皆が感動の渦に捕らわれた。一躍、有名になり、説教師になったアントニオは各地をまわって説教をした。
★親不孝の息子が居て、親を足で蹴り飛ばした。アントニオの説教を聞いて改心して、ああ、オレはダメだと、斧で自分の足を切りつけた。アントニオは奇跡をもって足を癒してやった。映画の一部分を、こんなにも覚えている。
★聖絵の右側、聖アントニオの絵には、幼子イエスと、百合の花が描かれる。左側は、イタリア・パドアの大聖堂で、聖アントニオの「舌」を祭っている。
★「物を失った場合は、聖アントニオに祈ると、見つかる」という庶民の信仰もある。
★小神学生の頃の思い出だが、聖アントニオの祝日は学校は休みで、この日はロムアルド修道士と共に「茂木(もぎ)」へ徒歩で出かけた。戦後の食料不足の時代で、米の飯は3度は食べられない頃だった。代わりに芋で我慢した。そんな時、「茂木」に出かけた我々は、ロムアルド修道士の配慮で、「食べきるだけ、茂木ビワを食べてよい」と、嬉しい許可が出た。その頃のビワは竹のカゴに入っていた。戦争中も、ビワは生き残っていたんですね。「食べるわ、食うわ」。小神学生たちは満腹するまで食べた。こういう許可を与える人間も、ある時代、ある場所では必要だし、喜ばれると今、思う。
★昨日は、ホームに、理髪屋さんの夫妻と、父親と、3人で来て、理髪をしてくれた。理髪屋さんの幼友達が小学校の校長先生になって来たそうで、理髪屋さんの取り成しで、来週の火曜日に、小学生たちに話をする運びになった。理髪屋さんにお礼を言った。散髪をしてもらって、髪も万全に整った。あとは「気力」を燃やすことだと楽しみにしている。

1 件のコメント:

  1. マリア・フランチェスカ2017年6月14日 20:03

    札幌から応援しております!

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