ホームの隣、湯江教会の祭壇の生け花です。ユリの花が見事です。転任して去った神父さまが、教会の庭に植えていたそうです。
★ところで、原爆の語り部の話。地元・湯江小学校の校長先生と、平和学習担当の女性先生がホームに来られて、原爆の語り部を努めたのが、5月23日(火)でした。そのとき、校長先生は、指でマルを作って、「よろしく頼みます」と約束を交わした。もう1ケ月前になる。ところが老人の気持ちや体力は、次第に変わるんですね。老人は少しの動揺にも、異常に反応する。
★話は変わって、寝るベッドのことですが、6月2日に、ベッド・敷きマットの入れ換えを行なった。女性の職員さんが「高価な品だから使ってみてください」と『ヘルスウェーブ』(デコボコの感触で、分厚いマット)を使うようになった。まあ、何とか安眠はして来ました。でも背中が慣れずに痛い、寝心地が良くないです。
★約束の小学校の平和学習は、明日、6月20日に迫りました。これまで何百回となく語ってきた原爆体験です。お手の物のハズです。日々何事も無く、夜は安眠していたのに、4日前になって、その夜は「子供たちのことを考えて」寝られない一夜になった。
★「こりゃ、大変だ。老人になって気力が失せたか」。心配したが、幸い3日前は、良く眠れた。2日前は、夜中12時まで寝た後、あとは眠れない。「マットのせいか、なァ」と悩む。寝ていて背中が落ち着かない。
★そうした日、東京の女性から絵ハガキに書いた短い手紙が届いた。「梅雨入りしましたが御元気ですか?さて、6月20日に小学生に講話をなさるそうですね。この子たちは『ヒバクシャ』の証言が聞ける最後の世代です。幾多の試練を経て、トマさんが彼らに伝える。これもマリア様の取り次ぎでしょう。いのちの炎を燃やして語ってこられますように。『トマ死ぬひまない』(2014年9月の日記より)」
★最初、長崎・原爆資料館で、語り部デビユーしたのは、母の被爆50回忌だった。初めての話は、620人の小学校で、母の写真を胸に納めて語った。今度も母の写真を胸に語ろう。母が守って下さるだろう。「母ちゃん、行って、くるケンね」
お祈りしております。
返信削除いつも、いつも
返信削除ありがとうございます