2016年10月29日土曜日

長崎の千草さんの言葉。身に沁みて、そうなんだ

長崎の千草さんが来た。彼女が言った言葉です。
★小崎さんには、お母さんの存在をものすごく感じるのよ。お母さんが、将来、困らないように、ルルドに度々お参りして、熱心に祈った。自分は女性だから、修道院(男子)の中に入れないけど、この子は頼みます。原爆に遭って、お母さんは亡くなったけど、すぐに聖母の騎士に入った。
★コルベ神父さまには会わないけれど、コルベ神父の伝記を書くことによって、小崎さんの役目があったのです。
★病気も、いろいろ。カリエス、結核、腎臓一つでも、何十年も生き延びた。小崎さんには、助ける人がいた。いろんな人から助けられた。人は、一人では生きられないのよ。
★小崎さんが、腎臓に結石が溜(た)まって、全身麻酔で手術したとき、無意識のなかで、「コルベ、コルベ、コルベ」と叫んで、びっくりしたのよ。小崎さん、その時の体験を聖母の騎士誌に書いたでしょう。わたし、持っていますよ。(2012年6月号「みむねのままに春」だった)
★あの時、40度の熱が出て、大変な苦しみだった。からだを拭いて、背中を拭いてあげたとき、からだの傷跡を見て、幾つものキズに、びっくりした。しかしキズがあっても、背中に温かいものを感じたんです。
★からだが温かい。背中に、お母さんを感じました。この子を守ります。死んでも守ります。小崎さんにはお母さんが付いている、それを、すごく感じますよ。
★病気したことで、司祭への道を断られた。普通の人なら、途中でやめたかも知れない。わたしは小崎さんは司祭にならずに、良かったと思っている。修道士で、ポーランドにも10回も行って、(千草さんも巡礼団に入って参加した)、沢山の本や記事を書いて、コンベンツアル(と、彼女が言ったのには、ちょっと、びっくりした)の一員として、つづけて勤めているでしょう。
★お母さんが、縁を結んでくれた。見守っています。背負ったものがある。
★それで、わたしの願いなんだけれど、一週間に一度でも、いいから、聖コルベ館に、車椅子でもいいから勤めて、居ってくれたら、小崎さんに会いにくる人もいる。最期まで、聖母の騎士に居てほしい、それが願いです。出来ないでしょうか。
★千草さんは、これだけ長々と話して、赤い袋を渡して帰った。
★袋の中には、パックに入った歯磨きセット、3個と、キャラメル、2個、それに、小さなクマさんのぬいぐるみ(手と足が動く)が入っていた。「毎月、歯ブラシは変えてね」

1 件のコメント:

  1. 元日のエリザベット2016年10月29日 17:32

    小崎さんについて、これほど的確に語れる人は、他にはいないでしょう。
    そして残された時間を、コルベ館の小崎登明修道士として過ごせるような環境が整うことを、祈っています。

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