2016年3月22日火曜日

生あるものは、かならず滅す。いかなる終わりか?

昨夜は、ふと、夜空を見ると、満月だった。春分の日の後の満月の、次の日曜日が復活祭。むかしの、先祖のキリシタンたちも、あの満月を仰いだのだろう、そう思った。復活祭は、大きなお祝い日だ。
★写真は、ホームの庭の、無原罪の聖母マリアさま。支える岩から、清水が流れて、細く取り巻く円形の池に落ちて行く。時折、周辺を散歩する。
★昨日、亡くなった男性の葬儀、告別式が、教会で行なわれた。親戚は誰も居ない葬式だったが、ホームの皆さんが黒の服装で、祈りや聖歌のなかで、職員さんたちが細やかな、厳粛な面持ちで、執り行っているのを見て、「ああ、この男性も、幸せだった」と、心に強く感じた。火葬場にも、園長神父さんはじめ、黒ずめの職員さんや、入居者も何人もホームの車に同行して、みんなで見送った。昼食後、遺骨になってホームへ戻ってきたが、玄関に、皆さんでお迎えした。
★一人の人生は終わった。若い頃は、死ぬことは遠い未来の出来事で、自分には、いまは関係が無いと暗黙のうちに距離感を抱いていたが、ホームで次々に見送る姿を見れば、やがて来る死を本当に身近に考える。
★小崎登明、これから、どうなるか。毎日、130人から、200人の誰かが、見守ってくださる。

1 件のコメント:

  1. 清らかな、素晴らしいマリア様のご像です。多くの祈りが捧げられているのでしょう。永遠の安らぎの中に!

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