「パン食い」競争には、要領があるんです。カブリついても、ダメだね。肩で、パンを少し寄せて、それからカブリつくのです。今度は、長ーィ、パンを狙ったから早かった。
★昨日、心引かれる、いいコメントが載っていた。「ホームで運動会まであるんですね。職員さんが、よく準備して下さる。カラダを使うので、笑いも生まれる。かってアリの町で、北原怜子(さとこ)さんが、子どもたちの運動会を実行した話を思い出した。戦後の皆さんが、よく笑った、そんな記憶があります」(たまさん)
★北原さんの運動会を読んだとき、ビビっと、きました。先ず、このコメントに接して、いろんな人たちが、ホームを見守ってくださり、自分の思い出にもつながっているのだな、と感じました。「ここで北原さんが出てこようとは、ね。夢にも考えないよ」
★北原怜子さんの記事も書いたことがあるし、怜子さんのお姉さんと隅田川の当時の場所を訪ねたこともある。怜子さんが運動会を開くのに、どれほどの苦労があったか。彼女は前向きに生きた女性だった。苦労があって、善い解釈をつなぎながら、辛抱して、耐えて、笑いに持っていく。それにしても運動会の記事が、北原さんにつながったときは、瞬間、おどろき、うれしい思いで一杯でした。北原怜子さんは、カトリックで尊者になりました。取次ぎを祈りましょう。
★運動会は、午前中で終わったが、午後から、腎臓のステントの件で病院行きが残っていた。ステントは、25cmぐらいの管(クダ)で、腹部に入っているのです。十字架ですよ。
★ここで思います。「前向きに、生きよ。善い解釈をすることだ。落ち込んだり、失望したり、暗く考えたり、ダメだ・・・とは言わせない。自分には、自分の歴史がある。これから、どのような境遇に成るとも、前向きに受け入れて、残りの人生を終わりたい」。少々、自分に励ましの強気を送ります。
私の何気ないコメントに反応していただき、驚喜しています。私は信者ではありませんが、時たまカトリック関係の書物をひもとくことがあります。
返信削除怜子さんの本は数年前に読みました。怜子さんは運動会のほか、夏休みには子ども達の小田原宿泊旅行を実現してしまいました。戦後のバタヤ集落ではどビックリな企画だったでしょう。怜子さんとしては「夏の思い出が作れれば、子ども達は引け目を感じなくて済むから…」。だいたい、そんな記憶です。
怜子さんの明るく、前向きな発想にハッとしました。戦後のバタヤ集落でなんと豊かな発想でしょう!!
始まりは「お嬢さんの変わった道楽」だったとしても、カトリック嫌いだった松井桃楼さんが受洗してしまいましたよね。
トマさんは高齢で複数の不具合を抱えておられます。幻滅せずに生きられますよう、お祈り申し上げます。