長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2015年7月11日土曜日
長崎まで車で1時間。往復すると、やはり疲れる
朝食も取らずに、高原修道士の車で、長崎へ出かけた。市内に入ると、浦上天主堂の下の道路を通る。クリニックで診察を受けた。あと1ヶ月で、原爆70周年を迎える。新聞にも関係の記事が目につくようになった。70年といえば、本当に長い。直接・被爆者の平均年齢も、80歳を越えた、とあった。当時のことを思う。永井博士の如己堂あたりから、夜、真っ暗な闇のなかで、炎々と燃える崩壊した天主堂を眺めて、毎夜、毎夜、泣いた事が忘れられない。終戦のとき、誰もが「戦争は、もう絶対にイヤだ」と心から思った。70年、あの思いは未だに消えない。★昼食どきに、ホームへ帰った。すぐ食堂へ急いだ。皆さん、食事の真っ最中であった。ホームへ帰ると、なぜか、ホットする。「きょうの洗濯物は出しましたか」と職員さんが戸をひらいて声をかけてくれた。「ハイ、お願いしてから出かけました」。洗濯物は、きれいに小さな籠に収まって、渡してくださった。平和な1日が、きょうも暮れる。
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長崎往復、おつかれさまです。青空が美しいですね。
返信削除前後しますが、8日のブログ、一つの言葉で元気が出る。
を拝読して、逆に元気をいただきました。
ホームで、小崎修道士さまのお姿、一言に元気をもらっている入居者の方々、そして介護にあたっておられる職員の方々は、きっとたくさんいらっしゃると存じます。
いよいよ夏ですね、どうぞくれぐれもご自愛のうちに
おすごしあそばされますよう、お祈り申し上げております。